International Association of Music Libraries, Archives and Documentation Centres
Japanese Branch

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ニューズレター第24号
January. 2005

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2004年IAML-IASA 国際会議(於:オスロ)報告

荒川恒子
(IAML日本支部長)

 昨年度に続いて、支部長としての2度目の国際会議への出席であった。資料に関する情報を得るのみならば、『Fontes』を購読し、ホームページに掲載される記事に目を通せば事足りるのかもしれない。しかし昨年度のタリン大会で、多くの現地でなければ味わえない体験をした私は、 IAML国際大会へ参加することが大きな楽しみとなっていた。それと同時に、2004年7月15日現在でアメリカ、ドイツ、スペイン、イタリア、スウェーデン、イギリス、フランスに次ぐ89名の会員数を有する日本支部が、支部としてどのような貢献をしてきたのか、また今後していくべきか、ということに関して真剣に考えなければという思いも増していた。とりあえず本部から要請のあったことに対しては、速やかに回答し義務を果たすことから始めよう、というのが私のささやかな出発点である。昨年度はアウトリーチに関する緻密な調査がなされたが、本年度はフェデリカ・リーヴァ率いる著作権に関わるティームの調査が徹底していた。膨大な調査用紙に応えるために協力してくださったのは、国立音楽大学図書館の市川啓子さんである。おかげで調査の結果が一覧表となって紹介された中に、日本からの回答も含まれた。今後これらの資料が何らかの役にたつこともあろう。そのような準備段階を経て、本大会は始まった。

 オスロは遠い。私の西ヨーロッパ研修先からでも飛行機を乗り継ぎ、半日がかりでの到着であった。オスロに関しては、昨年度の大会での紹介からはあまり明白なイメージがもてなかったばかりでなく、ヨーロッパにおいても北欧に関わるニュースは極端に少ない。取り立てて報道すべきことが無いということは、当今では平和ということなのかもしれないが。しかし会議用のかばんの中には多くの情報が詰めこまれていた。発表の要旨、プレゼントされた多彩なノルウェー音楽のCD、展示ブースからのパンフレット、観光案内等である。私は宿舎として選んだ大学内の学生寮へと急いだ。短い夏を楽しむかのように芝生に薔薇が鮮やかに写る前庭、1920年台のネオ・クラシックな建物。もう始まる秋学期のために戻りつつある学生達の生活を垣間見ながらの滞在であった。なお新しく整えられた大学キャンパスは大変機能的で、会議は円滑に進行された。観光案内によりちょうど街中のレストラン等でジャズ・フェスティヴァルが開催されていること、ノルウェーが誇る彫刻家ヴィーゲランの博物館で、私の知り合いである岡山潔、服部芳子夫妻が前週にバッハ、バルトーク等を演奏したこと、出光の出資により建設されたムンクの美術館で日本人ヴァイオリン奏者の山瀬理桜さんが、ノルウェーの楽器ハルダンゲルヴァイオリンを用いての演奏会を計画していること等を知ることができた。劇作家イプセン、画家ムンクといった思想性の強い作品が、多くの日本人の青春に与えた刺激、またグリーグの音楽から、西欧とは異なるメンタリティを感じ取っていたのは私ばかりではあるまい。ノルウェーが急接近してきた。それと共に、現代のノルウェーにおける音楽のあり方に対する興味が増した。

 会議は8月8日(日)から始まった。従来と異なる点は全員に開かれた初日の協議会で、各支部の報告が求められたことである。私は支部の年間の活動状況や支部のニューズレターにより、会員の方にはすでにお知らせしている内容を報告した。特に国立音楽大学が購入したバッハの結婚カンタータBWV216初演当時の声楽譜に関して、その入手次第、鑑定結果、今後の扱い等に関して多少詳細に説明した。また日本支部は目下何ができるかを考えながら、下部組織として活動しているのはRILMのみであること、しかしRidIM、RISMに関わる研究や調査もなされているので、日本支部が国内外のお問い合わせに応えるべく、情報交換を行なっていくつもりであることをお話した。このことは早速実行に結びつき、帰国後に長谷川由美子事務局長が国立音楽大学の資料情報をRISMに提供した。今後は他機関の情報も互いに共有できるように、支部として協力しつつ発信すべきであると、帰国後の支部委員会で話し合った。また支部のアウトリーチの一環として、初めて会議に出席される会員への援助を皆様方にお願いしているが、本年はそれを有効に使用することができた。金井喜一郎氏の初参加がかなったのである。彼の参加は自身のためにきっと良い体験となったことであろう。しかしそればかりでなく日本支部の大先輩である上法茂氏夫妻にとっても、快い思い出となったはずである。昨年のタリン大会直後に病を得られた氏が、再度立ちあがることが出来たのは、まさに「オスロIAML大会参加への強い意志」であった、とは御夫人である岩崎淑さんの御言葉である。氏の側には必ず金井氏が付き添い心配りをなさってくださった。参加者達は上法氏を心から歓迎し氏の回復を祈ってくださった。氏が寄せられた日本支部のニューズレターvol.10 (1998年7月)の記事から、氏とIAMLの長い関わり、日本支部の初期の段階での御苦労と願いが伝わってくる。今度は私達が何かを始めなければとも思う。

 会議の内容の中から、ノルウェー大会ならではのことを御紹介しておこう。1) 1885年から2000年に至るグリーグの作品目録や楽譜出版、出版楽譜相互の異同に関する諸問題、2) Arne Nordheim (1931-) の生涯と作品について、3) 1990年代に関心が高まった作曲家Geirr Tveitt (1908-1981) の、火事で焼けてしまった楽譜の焼け焦げた断片を丁寧にほぐし、デジタル化し、残されたスコアとパート譜からバレー音楽《Baldurs Draumar》の演奏にこぎつけた過程、4) サミの人達が個人の物語や過去の出来事を伝えるために歌うヨイクjoikの様々な歌い方のデモンストレーション等である。(なおノルウェー語の発音がアルファベットをそのまま読むのとはかなり異なることを知ったのもオスロにおいてであり、今の私は正確な発音を表記する自信がない)。これらの発表は、合間に行なわれたイヴェントや会議終了後のベルゲン旅行において、さらに膨らみを増すことになる。オープニング・セレモニーの実演はトロンボーンと民俗楽器ノル(nor)と呼ばれアルペン・ホルンを短くしたような楽器を用いたArne Nordheim作《スナーク狩り》(L.キャロルの物語に基づく)、オスロ・カルテットによるドヴォルザーク、ノルウェーの作曲家Jan Johanssonの《Visan fr系 Utanmya》、それにソフトなジャズが続くといった内容である。このようなプログラミングは当地では一般的であるらしく、翌日の市庁舎におけるレセプションでの実演でも同様、さらに木曜日に訪ねたコンサート・ホールGamle Logen(グリークがしばしば演奏会を開催したホール)ではまずハルダンゲルヴァイオリンの演奏、ノルウェー少女合唱団によるグリーグとKnut Nystedt (1915-) の作品、Cikada 弦楽四重奏団によるEivind Buene (1973-) とK罫e Kolberg (1936-) の作品、休憩をはさんでトランペット・ソロさらにTord Gustavsen Trio(ピアノ、ドラム、ベース) によるまさに優しい中に柔軟性と集中力を結晶した見事なジャズ。一見不思議なプログラムが全体として調和を醸し出すのは楽しかった。また火曜日の夜の“Norskの夕べ”ではハルダンゲルヴァイオリンと歌に合わせて、民俗衣装に身をまとった人達の踊りを楽しみ、その後は皆がその踊りの輪に招かれた。最後のディナーも生バンドの演奏に促されてのダンス・パーティであった。

 ベルゲン旅行ではグリーグ・アーカイヴ、グリーグの住まいである「トロールハウゲン」訪問と彼のシュタインウェイを用いての演奏のサーヴィス、さらにノルウェーのもうひとりの重要な作曲家Harald Saeverud (1897-1992) が1939年から死去するまで住んだ家と音楽の紹介、名ヴァイオリン奏者Ole Bullがアメリカ人妻の好みを受け入れて建築した、多様式の家等を見学した。いずれの音楽家もノルウェーの美しい自然、故郷を何よりも愛したとのこと、まことに美しい場所に建てられていた。バスや船を乗り継いでの楽しい旅路であったが、岩盤が剥き出しになり、自然の草木は少ない。遠目には美しく見える緑の多い自然も、計り知れない人為の結果と聞き、また心なしか小柄な作物類を手にして、彼らの質素な日常を思いやらずにはいられない。なおグリーグ・アーカイヴは音楽大学図書館にではなく、ベルゲンのパブリック・ライブラリーに置かれている。グリーグは自らの音楽を「同時代の身近な人のためのものであり、バッハとかベートーヴェンのように時代や地域を越えて存在できる音楽ではない」と自覚していた。だからこそ自分の記録を、ベルゲンの誰でもが手にすることができるパブリック・ライブラリーに、と願ったとのことである。ところが彼の謙虚な願いは、ホームページにアクセスしさえすれば、自筆譜や交換された手紙等の興味深い資料を見ることができる形で、世界の人々の共有するところとなった。ちなみに日本語版もあるので、この素晴らしいホームページを開けてみることをお勧めしたい(http://www.bergen.folkebibl.no./musikk/grieg/musgrieg.htm)。多くの記念建造物や博物館、美術館に日本語のパンフレットが置かれていたが、わが国からの問い合わせや訪問者が多いことの証しでもあろう。事実大会には大阪大学から今夏オスロに留学したという博士課程の小林ひかりさんも出席され、すでに教授の方に親切に受け入れられていた。

 会議で継続的に紹介されるテーマとしては、資料のデジタル化に関わる問題がある。1996年にペルージャ大会に出席された当時の事務局長、秋岡陽氏の報告には、それまでwww. と言っただけで失笑を買う時代があったのに、今や全く逆で大入り満員である、とある。今日では当然のこととして様々な現状報告がみられる。参加者一覧表にまた日本名を見出した。カナダはモントリオールのMcGill大学に勤務されるFUJINAGA Ichiro氏である。音楽学と工学を学ばれ、Technology Transfer 研究室でマイクロフィルムを直接にデジタル化する研究に携わっておられるとのこと。この分野は重要なものとして市民権を与えられている。しばらく働いていたアメリカから育った国カナダに戻られて、楽しく研究や授業に携わっていらっしゃる闊達な方であった。

 私自分の研究課題や興味と関わる発表をふたつ御紹介しておこう。フランス国立図書館所蔵のフィリドール・コレクションがデジタル化された。アンドレ・ダニカン・フィリドール (1647-1730) により写譜された約50巻からなるこのコレクションは、1935年から同図書館の所蔵となっている。今までマイクロフィルムでのみ使用できたものが、ウェブ上で閲覧できるのである。ルイ14世時代のフランス・バロック、特にリュリの音楽に興味のある方はhttp://gallica.bnf.fr. を開けてみていただきたい。一方ベルリン国立図書館は、第2次大戦中に約30箇所に分散して疎開させていた楽譜等の行方を追っている。特に戦後東側の国に入ってしまったために、消息不明となっていた楽譜の情報が少しずつ集まり始めている。すでに15年前のこととなるベルリンの壁崩壊は、音楽資料にとっても多くの意味をもつ。以前は東ベルリンの図書館員であったヤネッケが、ロシアやポーランドの図書館員と熱心に打ち合わせをしていた姿が印象的であった。デジタル化が進み、座ったままで多くの資料が入手できることは、音楽研究者や音楽家にとってはこの上ない重宝なことである。しかしその裏で、実に旧態依然としたやり方で身体をはって、一歩一歩情報を収集するための調査を続行している図書館員がいることも忘れてはなるまい。

 帰路について数日後にノルウェーからの重大なニュースが流れた。ムンクの絵「叫び」の盗難事件である。ほんの一週間ほど前にじっくりとその絵を鑑賞したばかりであったので、痛恨は鮮烈であった。実物に接することができたからこその強烈な想いであった。それは同時に、実物に触れなくてもある程度研究や活動ができる、便利な時代が陥りやすい問題をも再確認させてくれた。普段訪れる機会の少ない国での大会は、なじみのない国や、そこで営まれる音楽、彼らを支える図書館員に対して特別な親近感を与えてくれる。同じ目的や職務にある人達が心をかよわせ、共感も持つことのできるIAML国際大会への参加は重要な意味があるのではないだろうか。しかしただ参加するばかりでなく、日本支部はどのような活動を展開していく必要があろう。IAMLは1949年という戦後のどさくさの中から立ちあがり、戦争で被害を受けた楽譜を初めとする音楽資料やコレクションの実情調査を目的としてヨーロッパで始まったと聞く。この活動がいつの日にか世界の活動となり、日本支部が真の意味でこの協議会の一員となれる日が遠くないことを願いたい。そのためには本部の要請に応じるだけではなく、日本ならではという活動、情報を発信できるように、日本支部も自ら積極的に努力をするべきなのではなかろうかと、痛感した次第である。




IAMLオスロ会議を契機に動き出したRISMへのデータ提供

長谷川由美子
(国立音楽大学附属図書館特別資料部)

 いざ、ムンクの国へ。
 行こうか、やめようか、メールのやり取りですむかもしれないし‥‥
 今年に入ってからもぐずぐずと迷いつづけたが、5月の連休過ぎにやっと決心をしてIAMLのノルウェー大会に参加申込をした。グリークではなくてムンクとふれまわっている私に、友人の何人かは半ば呆れ顔だったが、目的はほかにもあった。

 昨年末から私は勤務している国立音楽大学附属図書館で所蔵しているマニュスクリプトの整理を始めた。300点ほどのマニュスクリプトは、自筆譜あり、オペラの全曲筆写譜あり、オペラのアリアだけの楽譜ありと種種雑多で、作曲者の名前も入ってなければ、オペラの題名も入っていない資料もあって、図書館員泣かせの資料群だった。整理は当館の豊富な参考資料に助けられたといってよい。その中でなんといっても最大の参考図書はRISMオン・ラインだった。世界各国のマニュスクリプトの情報をインチピット付きで示してくれる最も頼りがいのある書誌である。ほとんど毎日のようにRISMオン・ラインを使い、その使い方に習熟していくにつれて当初全く不可能のように思えた整理はかなり順調に進んでいった。作曲者不詳とされていた曲は本来の作曲者が判明し、アリアの歌いだししか分からなかった資料もオペラの題名がわかり、間違った作曲者名も正すことが出来た。近年のテクノロジーの発達に助けられたのである。反対に、RISMオン・ラインでは作曲者不詳とされていた曲の作曲者や題名が当館の資料で判明したり、主題目録に掲載されていないオペラのヴァージョンがわかったり、ニュー・グローヴや主題目録では『紛失』とされている作品が見つかったりもした。
 マニュスクリプトの整理と平行して、改めて印刷譜や音楽書に目を通した結果、こちらも思いがけなく豊かな資料群を当館が所蔵していることが判明した。これらの資料の整理にもRISMが大活躍したのはいうまでもない。

 これをただ、国立音楽大学だけの財産にして、学内、もしくは日本だけに流通する情報とするのはこの情報化の世界にあってどう考えても時代に逆行するし、許しがたく思い、RISMへの情報提供を真剣に考えはじめた。しかし、日本にはRILMとは違って公式のRISM日本支部がない。さて、最初のコンタクトをどうやってRISM側とつけようかと考えた末、ムンクの魅力と生来の無鉄砲も手伝ってはるばるノルウェーまで出かけていった。
 もちろんメールのやり取りで事はすむはずであったが、家族を説得するため、大義名分があった方が好都合だった。それほど英語が得意でない私は、支部長の荒川先生と長年の会員である岸本さんにPTAよろしく付き添って頂いてRISMのセッションに出席。その責任者、クラウス・カイル氏と話をすることが出来た。ざっとこちらの事情をお話して、国内支部がなくても情報提供が可能かを伺ったが、それは全く問題がないという答を得た。

 その後、どのように情報をやり取りするかを彼と話すには私の英語はあまりに貧弱だったため、名刺を渡して、連絡してくれるように頼んだ。カイル氏は熊のように大きな人で、その姿は良く目立つはずなのに、それ以降のセッションで見かけることはなかった。ほんの短い時間、話をしただけで本当に通じているのだろうか、私はひどく心配だったが最終日のパーティーでやっとその姿を目にした。念押しのつもりで簡単な英文の手紙に再度名刺を添え、その名刺に派手なマーカーをつけて、「忘れないで」と半ば脅しのような形でカイル氏に渡した。なんともはや、ストーカー的行為である。彼は苦笑しただろう。
 図書館の休みが明けるとすぐに彼からのメールが入った。そこで、英語の得意な同僚に手伝って貰って日本の事情や当館の資料の概要、質問等を書き送った。彼からは折り返し返事があったが、以下にやりとりを紹介しよう。

質問1: 公式の日本支部がなくてもデータは送れるか?
答え1: OK
質問2: マニュスクリプトのデータ提出に関しては2段階で考えている。すでにRISMオンラインに基本データが存在するものに関してはそれを利用して当館の所蔵情報を付加して作成し、データがないものに関しては2年後を目途にして出来ればインチピットをつける形でデータ提出をしたいがそれでよいか
答え2: そのスケジュールでOK。ただし全てのソースに関しては一件ごとに別データを作成するので、すでに存在するデータに国立音楽大学の書誌情報をつける形はできない。が、あるデータをコピーして利用することは可能。
質問3: RISM:A/I (1800年以前の個人作曲家出版譜)、RISM:B/VI (1800年以前に出版された音楽関係書籍) やRISM:B/II (1800年以前出版の曲集) はすでに膨大なデータが何巻ものシリーズで出版されたが、当館はこの3つに関してもかなハフ資料を所蔵している。これらの資料をRISMに提供する必要があるだろうか。また、これらは将来オンラインで利用可能かどうか。
答え3: RISM:A/Iの14巻をデータベースに変換する作業に取り掛かっている。これは来年の終わりまでには完成したい。貴館所蔵資料に関心を持っているので、その情報をデータベースに含めたいと思う。
質問4: 当館のマーク・システムからRISMが使用しているシステムへの変換プログラムがない。プリント・アウトの形でデータ提出が可能かどうか?
答え4: 国立音楽大学形式のテキスト・ファイルでの提出は可能だし、プリント・アウトは必ずしも必要ない。また、テキスト・ファイルからRISMデータの変換はRISM側の問題である。私としては国立音楽大学図書館がわれわれのプロジェクトに寄与できることを願う。

 この答えを元に、一番急がねばならない分野、RISM:A/I、B/VI、B/IIに相当する資料をリスト化して9月に送った。その際当館が1990年に作成した『19世紀以前の印刷譜』に掲載されている資料に関しては該当個所にマーカーで印を入れ、再確認した上でRISM補遺に掲載されている情報を加え、RISM側がアイデンティファイしやすいように多少の書誌事項を追加した。その後に購入したものや音楽書については新しくリストを作成した。

 RISMへの日本からのデータ提供はかなり以前、RISMからの強い要望を受けてプロジェクトが発足、武蔵野音楽大学と当時の南葵音楽文庫の所蔵データが提供されたのみである。その後様々な理由が重なって、データ提供は行われてこなかった。国内には、当館だけでなく、おそらくいろいろな機関が西洋音楽の資料を所蔵していると思われる。

 本来ならばRILM国内委員会と同等の組織が国内資料の調査や国際本部との橋渡しを担うべきであるが、組織の立ち上げを待っていたのでは少なくともRISM:A/IIである印刷譜の調査、データ送付は来年末までに仕上がらないだろう。今回のデータ提出はたまたま私が所属校で貴重書を担当し、同時に個人としてIAMLの事務局の仕事を引き受けていたために、立場を利用して相手方と話をつけてきたのだが、RISM関係の資料調査や本部との連絡等、わずかな経験ながら、お役に立てることはあろうかと思う。ご連絡をいただければ、いつでもお手伝いさせていただきたい。 『文化輸入超過』と悪口をたたかれる西洋音斑のデータの世界にあって、RILM国内委員会だけががんばっている日本の情報をRISMの面からも支援しようではありませんか。

 2004年11月に国立音楽大学のマニュスクリプトのリストは一応完成した。当面は図書館内だけにリストが置かれているが、そのうち外部へも公開される。来館されればマイクロフィルムでの利用は可能である。 音楽書に関しては来年1月をめどに目下作業を進めている。印刷譜に関してはすでに上述の目録が役立つだろう。いずれもマイクロフィルムでの利用は可能である。



オスロ会議に出席して

金井喜一
(昭和音楽大学)

 今年のIAML国際会議は、8月7日から13日まで、ノルウェーの首都オスロで開催(IASAとの共同開催)されました。今年は3年に1度の総会のある年です。 今回私は、IAML日本支部から大会参加費の助成をいただいて参加することができました。私に対して助成金をお認め下さった荒川恒子支部長や長谷川由美子事務局長を始めとする会員の皆様、そして参加にあたってお力添えをいただいた岸本宏子氏にこの場を借りて御礼申し上げます。

 今回、日本支部からは、荒川恒子支部長、長谷川由美子事務局長、井上公子氏、岸本宏子氏、上法茂氏、藤堂雍子氏、著者(金井)、さらに会員以外にピアニストの岩崎淑氏が参加しました。会場となったのはオスロ大学のBlindern校舎でした。なお、会期中のオスロは異常な暑さで、連日最高気温が30度を超えました。

 私が今会議に参加をした理由は、勤務先の大学が2009年に全学移転するに伴い、図書館も旧来の図書館からメディアセンターに発展させるべく計画をしておりまして、今会議のメインテーマ"Music and Multimediaモがメディアセンター計画に有益な情報を与えてくれるだろうというのが一番の理由でした。また、個人的にはメディアセンターにふさわしいライブラリアンとなるために、自分自身をレベルアップさせなければならないとも思っていたからでした。

 8月8日にオスロ中央駅から会場のオスロ大学を目指してカールヨハン通りをスーツケースを押しながら歩き、やっとオスロ大学に着いたのですが、IAMLの文字はどこにもありませんでした。今会議のパンフレットで確認すると何と同じオスロ大学でもこの校舎(The city centre)から電車で2駅目の別の校舎(Blindern)であることが分かり、大急ぎで電車に乗って会場に向かいました。会場に到着するとすでにNational reportsが始まっていました。日本支部からは荒川支部長が国内状況を説明し、その中で今回補助金制度により私(金井)が参加できたことが紹介され、会場から拍手が沸き上がりました。今会期中唯一私が注目された瞬間でありました。その後、IAML Session for new delegatesに参加しました。英語が得意でない私のために岸本先生が一緒に参加してくれました。司会者がIAMLのこれまでの歴史を説明した後、「あまり無理をせずに、好きなもの、興味を持ったものだけに参加した方が良い」とのアドヴァイスをしてくれましたので、私はこれを忠実に実行することにしました。 会期中は毎日、基本的に9時15分から17時45分まで、会議や研究発表、討論会が行われました。その中で私が参加したものの幾つかを簡潔に報告します。

 Marta Sanchez Lopez-Lagoによる ”The Harmos project” では、音楽学校でのレッスンをデジタル録画し、それをオンラインで用いてVirtual School of Musicを実現するもの等の紹介がありました。
 Bernhard Guentherによる メMusicnetwork update” では、マルチメディアコンテンツを製作する側が技術を追求するあまりに生じてしまったユーザーとの溝をうめる仕事等が紹介されました。
 David Dayによる ”Working Group on the Inter-national Register of Music Archives (IRMA)” では、音楽アーカイヴのオンライン・ディレクトリを作成するプロジェクトの進捗状況が紹介されるとともに、参加者による意見交換がなされました。
 Mary Wallace Davidsonによる ”Creating, maintaining and improving digital music library services at Indiana University” では、Indiana Universityでのdigital music library projectであるVariation2が紹介されました。Variation2は開発途中であり、現在はVariationが稼動中です。Variationは、CDに近い音質8000以上の録音資料や数百のスコアをオンラインで提供しています。Variation2では、新たな機能が追加される計画です。
 ラウンドテーブルセッション ”Gifts and depo-sits” では、各国図書館における寄贈資料や寄託資料の扱いについて報告がありました。そのうちNew York Public Libraryでは、通常は事前に寄贈を受けるべきかを検討した上で寄贈証書を作成した後に資料を受け取るのですが、検討する前に資料が届く場合もあり、この場合様々な問題が生じることもあるため、改めて寄贈方針を検討の上定めて、その方針を一般に公開したことが報告されました。
 Jacqueline von Arbによる ”When collections become archives: the Arne Dorumsgaard collection at Norwegian Institute of Recorded Sound, Stavanger” では、コレクションの発展が語られました。collector → collection → archiveと変化していく様子、そしてアクセス方法が ”visit the collector” → ”ask me, I’ll look it up” → ”browse our catalogue on the net” →(”click and go” 今後のヴィジョン)と変化していく様子が紹介されました。
 Eugene Platonovによる ”The Moscow Conservatoire sound archive” では 、ユニークな ”original recording collection” や音響編集システムの紹介がありました。
 Michel Fingerhutによる ”Music Information Retrieval (MIR), or how to search for (and maybe find) music and do away with incipits” では、MIRがテクノロジーの発展に伴い1990年代後半に現れた新しい学問であること、そしてそのコンセプトが説明されました(今会議で私が一番興味を抱いた内容でした)。
 ”Online music distribution system from a music library perspective” では、各国(各施設)での状況が報告され、もはや資料を所蔵することは重要ではなく、アクセスすることが重要になってきているとの説明がありました。その1例として、デンマークのNETMUSICが紹介されました。これは、デンマーク音楽(クラシック音楽に限らない)の保存とコミュニケーションを目的とする図書館とレコード業界の初の共同事業であり、デンマーク内の50%の図書館が参加しているとのことでした。

 会期中は、会議や研究発表、討論会の他に様々な催しがありましたので、次にそれらを報告します。
 会議の初日である8月8日には会場のロビーでオープニングセレモニーが行われました。ノルウェー支部長で組織委員会の委員長であるInger Johanne Christiansenの挨拶に続いて、組織委員会の名誉委員であるArne Nordheimが自作のソロトロンボーンのための ”Hunting of the Snark” の解説を行い、Gaute Vikdalにより演奏されました。その後John H. Roberts IAML会長他の挨拶の後、オスロ弦楽四重奏団によるミニコンサートがありました。Grieg(弦楽四重奏曲ヘ長調第1楽章)に続いて、Jan Johannsson (Visan fran Utanmya), ABBA (SOS) やDave Brubeck (Blue Rondo) が演奏され、これから始まる会議に期待が膨らみました。
 8月9日のリセプションはOslo City Hall にて行われました。Oslo City Hallは毎年ノーベル平和賞のリセプションが行われる場所で、海が見渡せる位置に建っています。リセプションでは、Knut Even Lindsjrn (second leader of the Health and Social Committee) の挨拶の後、Arne Nordheimの ”Ohm for lur and tape” がGaute Vikdalにより演奏されました。その後はCity Hall内の壁画見学ツアーが催されました。
 8月10日には学生寮の庭で“Norsk Evening”が行われました。ShrimpとPrawn(えび)の違いに関する面白いスピーチに続いて、典型的なノルウェーの食事をいただいた後、民族衣装に身を包んだ方々によるフォークダンスを見て、ノルウェー民謡を聴きました(感動しました)。
 8月11日の午後は恒例の遠足です。遠足にはいくつかのコースがありますが、私はDrobakコースに参加しました。DrobakではSanta’s post officeやChristmas houseを訪れました。
 8月12日には、MIC (Music Information Center Norway) によりGamle Logenを会場としてコンサートが行われました。フィドル独奏、女声合唱、弦楽四重奏、トランベット独奏と続いて、最後はジャズピアノトリオの演奏でした。オープニングセレモニーでのミニコンサートの最後もジャズでしたし、ノルウェーでこんなにジャズが盛んだとは知りませんでした。
 最終日8月13日のFarewell Dinnerでは、会の運営に携わった人達への感謝の意が表せられました。食事の後はダンスパーティーが午前1時頃まで続くとのことでしたが、翌日のツアーに控えて早めに退散いたしました。

 以上でオスロ会議の通常プログラムの報告は終わるのですが、会議終了後のPost conference tourが素晴らしかったので、簡単に報告します。
 Post conference tourもいくつかのコースがあるのですが、日本支部のメンバーは全員ベルゲン・コースに参加しました。ベルゲンでは、ベルゲン公共図書館の他に、3人の作曲家(Grieg, Bull, Saeverud)の家を見学しました。ベルゲン公共図書館のGrieg Archiveは興味深いものでした。3人の作曲家の家については、それぞれが個性的な建物でしたが、共通するのは窓の外を眺めるとノルウェーの豊かな風景が広がっていることでした。この風景が彼らの曲に影響を与えているのだろうと感じました。なお、Griegの家では、ピアノリサイタルがあり、叙情組曲やピアノソナタの一部などが演奏されました。
 
最後に(今後参加される方へ)
 私はこの報告書で、IAML国際会議の素晴らしさを伝えたいと思いました。私にとってノルウェーでの8日間は、今後の人生に影響する程の感動がありました(大げさな表現ですが)。会議で幅広い知識を得て、各種催しで心を動かされました。
 今回初参加するまで、言葉の問題やお金の問題などを心配して、最初の一歩が踏み出せませんでした。でも、日本支部の大会参加費助成がきっかけとなり参加に踏み切ることができました。その結果上述のような体験をすることができました。今後も可能な限り参加したいと思いますし、他の国際会議にも参加してみたいと思うようになりました。
 日本支部の大会参加費助成はきっかけを作ってくれます。皆さんも一歩踏み出して見ませんか。