International Association of Music Libraries, Archives and Documentation Centres
Japanese Branch

******************************
ニューズレター第20号
Dec. 2002
******************************  

 1. 本号は、2001年12月11日に亡くなられた、IAML日本支部の元支部長渡部恵一郎先生(桐朋学園大学)の追悼号とさせていただきました。IAML会長のジョン・ロバ−ツ先生(UCバークレー)を始め渡部先生と深い所縁のあった方々から寄せられた追悼文を掲載いたします。
2. IAML 2002 Berkeley 2002年IAML国際会議報告(長谷川由美子,藤堂雍子,関根敏子)


 ジョン・ロバーツ先生はヘンデルの研究仲間としても深い友情で結ばれた方です。ロバ−ツ先生はIAMLメーリング・リストで渡部先生の追悼を世界に向けて発信してくださいました。以下、ご本人のご了承を得て転載させていただきます。

      It is my sad duty to inform the membership of IAML of the death on December 11 of Keiichiro Watanabe, a very distinguished and dedicated member of our Japanese Branch. Professor Watanabe was for many years Professor of Music History at the Toho Gakuen College of Music in Tokyo (where our good friend Yasuko Todo is librarian). After serving as Treasurer of the IAML Japanese Branch from 1979 to 1993 and Vice-President in 1994, he was President from 1995 to 1998. As a scholar he specialized in the music of Handel, and I thus came to know him personally through international Handel gatherings. He was one of the first scholars to undertake rigorous study of the watermarks in Handel's autographs, and by correlating his findings with variations in the composer's handwriting he was able to make a lasting contribution to our knowledge of the chronology of his Italian works. Professor Watanabe was also a gracious and generous colleague, a true gentleman. I last saw him during my visit to Tokyo two months ago, when he and several other members of IAML-Japan kindly took me out to an extraordinary Japanese dinner that I will long remember. He will be sorely missed by those of us privileged to have known him.

John H. Roberts

President, IAML


渡辺恵一郎先生     藤江 効子

渡部恵一郎先生ご逝去の報に接したときの驚きと悲しみは、一年近く経ったいまもありありとよみがえってまいります。渡部先生とは、芸大卒業直後に研究室の助手として、またその後も同じ桐朋学園の教師として、ずっとご一緒に仕事をさせていただいてまいりました。そんなわけで、何か困ったことがあったらいつも相談に乗っていただき、また私の専門領域が18世紀のイギリスだったこともあって、ヘンデルについては随分教えていただきました。            

 先生はヘンデル研究を学生の頃から一貫して続けられ、ヘンデル学者として世界的な名声を得ていらっしゃいました。その上、次から次へと新しい仕事にチャレンジなさる方でした。「ヘンデルのオペラ台本は、きちんとした日本語の訳がほとんどないから、全部の日本語訳をこしらえることが絶対必要だ。だから少しずつ手がけているのだけどね」とたびたび言っていらっしゃいました。    

 1998年7月からは、日本ヘンデル協会を設立されまして、オペラの上演を目標として、そのために舞台上での歌手のジェスチャー(役に応じた正しい位置や体の動かし方、特に手による表現)の研究に精魂を傾けられ、それを若い会員達に伝えようと、月1回ほど研究会を開いていらっしゃいました。また、ヘンデル文献の翻訳も始めておられました。(私事になりますが、そのひとつ、ウィントン・ディーン著の<ヘンデルのオペラ・セリア>の共訳がかなり進んでおりました)。このような八面六臂のご活躍が、お体に障ったのではないかとも思います。                             

                                    

 渡部先生のヘンデル研究の火を絶やさないようにするためにはどうしたらいいだろうかと、何人かで話し合ったこともありましたが、五里霧中の状態でした。たまたま本年8月末に、日本ヘンデル協会の会長に、というお話があったのですが、その任ではないと思い、一旦お断りしました。長い逡巡の末、最終的にお引き受けしましたのは、渡部先生のご遺志をいくらかでも継ぐことができればと考えたからです。                        

 どんな形であれ、渡部先生のヘンデルへの熱い思いを皆で分かち合うことで天国の先生への捧げ物と信じております。先生に天国での安らかな憩いがありますようにと、心からお祈りいたします。 


渡辺恵一郎先生     藤堂 雍子
clear=all style='page-break-before:auto;mso-break-type:section-break'>

 桐朋には1971年以来音楽学科に席をおき、長く音楽学主任教授(1974〜1991)の座におられた。図書館長就任が1980年、6年間の在任期間は書庫狭隘、滞貨処理、目録のコンピューター導入問題が重なった時代で、音楽部門報には、毎号のように問題の難しさを寄稿された。1983年ワシントン、1997年ジュネーヴでのIAML年次大会にはご一緒した。海外での恵一郎先生は、いつもとてもご機嫌が良かった。ジュネーヴでは、確か関根敏子、長谷川由美子両氏と私も発表の機会があり、そのセッションにはどれも参加され、喜んでくださった。 日本での1988年会議後、支部が数年休会状態になり、建て直しを迫られ、何とか軌道に乗せるまで会計監査役の先生に会計としてご相談をしたこともあった。しかし大概は、寛容でリベラルであることをモットーとされた。過度な管理主義が音楽文化を痩せさせることになることをご存じであった。筋を通すことには拘られたが。そして会合の帰途、手作りの「書見台」や、ヘンデルのオペラの日本初演や演出の話をされるのが何より楽しそうだった。一昨年12月、病に倒れられたが、術後の経過は順調でリハビリに徹しておられた。IAML会長でカリフォルニア大学バークレイ校のヘンデル研究者J. ロバーツがIMC大会出席のため来日された昨年秋のこと、都心での夕食会にお誘いした。数日前になって「やはり無理かもしれない」と大阪から電話が入った。テレマン協会主催のヘンデルのオペラ公演に立ち会われた旅先からだった。夏に体調に変化があったことも漏らされた。しかし当日「いかがですか?」とお尋ねの電話をしたら「今から出るから」とのお返事。J. ロバーツは思いがけない再会に喜び、いたわりの言葉をかけ、お二人は随分親密に長い間話しておられた。いつになく足元が危ういほど酔ったロバーツを金沢正剛先生とホテルまで送り届けた数日後、恵一郎先生は再び検査入院された。しかし辞書を見て確かめてほしい、と仕事中の病院のベットから何度か電話をいただいた。その折り、つい数ヶ月前に亡くなられた内村鑑三と近しかった父上について小冊子にまとめられたことも子細に語られた。それが恵一郎先生とお話できた最後となった。悲報を受けた日にロバーツにメールで訃報を告げると折り返し恵一郎先生への深い敬愛の念と心のこもったお悔やみのメッセージが返ってきた。続いて、IAMLのNewsletter (www.) に哀悼のメッセージを公表し、この夏のバークレイ校でのIAML年次会議役員会では、同じ日にこの世を去ったImogen Fellinger 女史(ブラームスと親交の深かった家庭に生まれ、19世紀音楽雑誌研究の第一人者)と共に哀悼の辞が繰り返し述べられた。また英国のThe Handel Institute: Newsletter (vol. 13-1, Spring 2002) にDonald Burrowsが先生の研究業績を2ページにわたり記していることもお伝えしておこう。  


渡辺恵一郎先生     小林裕子

 人の出会いは不思議なものです。私は3年間のロンドン滞在を終え、1999年夏に帰国いたしました。ロンドンではヘンデルの作品をよく聴きましたが帰国間近に聴いたEnglish National OperaでのSemeleはその中でも最も強く心に残るものでした。この作品はオラトリオですがこの時はオペラとして上演されました。どのような作品を聞いても作曲家としての凄さ、作品の楽しさに驚くことがしばしばでしたがSemeleには驚愕、2日続けて聴きに行きました。帰国後、雑用も一段落して桐朋学園の図書館に赴いた折、偶然渡部先生にお目にかかったのです。Semeleを聴いて不思議に思った事が蘇り、尋ねました。なぜあの作品がオラトリオなのか、どうしてオペラではないのか、ヘンデルにとってオラトリオってなんだったのか、と。笑みを浮かべつつ私の話をお聞きくださり最後におっしゃったのです。ヘンデルを勉強してよ、答えがわかるよ、知識なしで音楽を聴いてもつまらないよ、勉強すると今まで聞いた作品ももっとよくわかって感動的だよ、と。こうしてヘンデル研究の指導をうけることになり、ついに先生の企てに引きずり込まれることになりました。          

 ライフワークがふたつある、とかねがねおっしゃっていました。ひとつはヘンデルの舞台作品すなわちオペラ、オラトリオをバロック時代の演技をもって上演すること。演技を伴わない演奏ではヘンデル作品が本来もつ生命感を生み出すことはできない、と主張なさり、十数年前からバロック時代の演技すなわちジェスチャアを研究し、1998年7月日本ヘンデル協会を設立なさいました。ふたつ目はオペラ、オラトリオ全作品の台本を日本語に翻訳、出版するというものです。ヘンデルの舞台作品の理解を容易にするためには作品の内容を日本語で読めるようにしなければいけない。しかも作曲されなかった部分も入っている出版台本の初版を、というものです。すでにお一人で進められていましたが、以後先生がオペラ、私がオラトリオという分担で進めておりました。2001年夏、体調がよくないとおっしゃりつつも、Tamerlanoの翻訳に苦心なさっていましたが完成を見ず天に召されました。今、私は先生の遺志をどうしたらなしとげられるだろう、と考えつつ資料の整理に追われています。


In my memory            Kazuyo Parsch

                I was very sorry to learn that Professor Watanabe had passed away. I met him in the summer of 1997 during the IAML Geneva conference. While we were walking to a restaurant, my sister, Yumiko Hasegawa, introduced me to him and he began asking me about my interest in music. He was fully aware that my profession was as far away from music as possible. Yet, he did not seem to mind it at all. Rather, he was more interested in learning of my inclination and passion toward music as a non-musician. With his encouragement, I described my true passion for operas, in particular, my special penchant for baritones. Professor Watanabe asked me how I would prepare myself for a performance, what I would concentrate on in a given performance, and how I would concentrate on it. His manner of conversation was unexpectedly ordinary and he certainly possessed a unique ability to make people feel very comfortable and at ease without regard to the level and extent of their musical background. With his position and reputation, a person could easily be rather arrogant, but he was a very quiet and kind listener, which is something that many people must have appreciated.                         

                           Kazuyo Parsch

(Ernst & Young LLP会計事務所 国際税法担当)


IAML 2002 Berkeley 2002年IAML国際会議報告
 2002年IAML国際会議はアメリカ・カリフォルニア州立大学のバークリーで、8月4日8(日)から9日(金)の6日間にわたって行われた。全プログラムのうち、報告が済んでいないセッションを長谷川、藤堂、関根の3人が分担して報告する。

Collected Editions, Historical Series & Sets & Monuments of Music: A Bibliographyの内容索引の電子化について
 1997年に出版され、出版の全集、叢書を調べるときの参考図書である本書のインデックスをCDロムあるいはオンラインで利用できるようにするための作業の途中報告で、会期中3回にわたって著者のジョージ・ヒル自身から説明があった。紙媒体とは違って常に新しい情報を入力できる利点をフルに生かした好企画であろう。現在出版中の全集についても順次入力していくということである。早く配布してもらえれば、単館でデータ作製を行わずにすむが、完成はいつになるか明言されなかった。
 
アメリカの公共図書館における音楽資料
 ニューヨーク・パブリック・ライブラリ、シアトルの公共図書館、アナーバーの地域図書館という大規模、中規模、小規模の公共図書館での実例報告であった。
 ニューヨーク・パブリック・ライブラリの音楽関係コレクションはダンスと演劇、音楽、それに音源である。ダンスと演劇部門では、関係する本とともに、ヴィデオ(VHSとDVD)とフィルム形式を扱い、パフォーミング・アーツについての法的、管理的な資料が豊富にある。
 音楽部門はあらゆる形式の書籍と印刷楽譜を扱う。その中でもっとも重要なのは完全に目録化されている2000のポピュラー・ソングのコレクションで、38,000の個々の歌から成っている。このコレクションはカード・ファイルからデータ・ベースに転換されているが、いま現在まだオンラインにはなってない。音楽家、一般の利用者、作曲家によく利用されている。また、1,000にわたるオーケストラのパート譜コレクションもある。これはニューヨーク地区のプロやアマチュア・オーケストラによく利用されていて、有料で貸し出されている。
 音資料とムーヴィング・イメージ・コレクションはパフォーミング・アーツにおける印刷媒体でない資料を扱う。ヴィデオ・コレクションはフィルム、音楽関係のパフォーマンス、教育用ヴィデオや記録資料の全域を扱う。音源のコレクションは世界中の音楽の幅広い音源をあつかう。その中でもっとも興味深く非常によく使われるのは500あまりのミュージカルである。
 この他音楽を使用するあらゆる分野、たとえばシンクロナイズド・スイミングの記録や演劇部門における衣装のコレクション等、幅広く集められ、それが利用に供されているという点が印象に残った。  シアトル図書館の蔵書は1900年代初期から始まった楽譜の大コレクション、ラジオ局から寄贈を受けた歌と編曲のコレクション、それに当地における音楽家のオートグラフやここで行われた音楽公演の記録類という3本の柱から成り、書籍、録音資料、優秀なスタッフがコレクションとサーヴィスの背景にある。新図書館は斬新なデザインと派手な色使いでひときわ人目を引く。図書館員がときには音楽公演のプロデュースに近い役割をも果たすという。
 最後は非常にローカルな、アナーバーの公共図書館についてだったが、ここでの資料収集は楽譜ではなく、CDとヴィデオである。スタッフのなかに音楽関係者がほとんどいないこともある小規模図書館にあっても基本的な資料はそろっていて、住民のニーズに答えられている。発表の中で使われた「楽譜は歌わない」(だからより直接的なCDとヴィデオを)という言葉が印象的だったし、他の図書館との連携および、学術的な資料は大学図書館に依存するという姿勢が強く感じられた。
 ニューヨーク・パブリック・ライブラリの音楽部門の質の高さは言うまでもないが、中規摸、小規模ともに、特徴あるコレクションを形成し、住民の多様なニーズに答えるのが公共図書館の使命であるとの熱い姿勢が伺えた。省みて、わが国では公共図書館の中の音楽資料部門が音楽図書館協議会と会合を重ねることがあるのだろうか、専門図書館、公共図書館という色分けがあまりにも強いのではないだろうかという思いが残った。
 
アメリカ音楽という分野
 以下の3つの発表があった。1)アメリカ音楽研究は方法論を発達させたか、2)アメリカ音楽における多文化主義の潮流、3)黒人音楽研究の理論、方法論、そして本質。
 このセッションは非常に早口のアメリカ英語で行われて、まずぞのスピードにひどく疲れたが、全体の印象を言うと、新しい学問分野が既存の分野から派生していかに自己の独自の分野を確立させていくのかについて口角泡を飛ばした非常にアグレッシブな展開であったと思う。日本で一昔前に盛んだった民族音楽の方法論についての学会での展開を思い出した。

音楽図像学部門
 「デンマークで写されたストラヴィンスキーの写真」と題された発表の中で、写真が図像学の対象として取り上げられていたのが記憶に残った。いままで図像といえば、絵や版画、あるいは建築物と考えがちだったが、その範囲が写真にまで広がることに新鮮な驚きをもった。IAMLの大会はベルギーで開かれていた国際音楽学会と日程的に同じ時期だったが、今年の図像学部門はこれに最も影響を受けたように感じた。発表者や演題が事前のプログラムには掲載されておらず、急ごしらえでカリフォルニア大学やカリフォルニア州立大学の関係者に発表を頼んだ節があって、発表は全体的に低調だった。

オーストリーにおける書誌学的活動
 オーストリー国立図書館の音楽部門から、すでに17巻もの所蔵目録が刊行されているアントニー・ヴァン・ホーボーケン目録についての報告があった。この目録は17世紀から19世紀の楽譜出版を考える際、もっとも広範囲にデータを提供してくれる。実際にはそれぞれの時代によって楽譜の目録に必要とされる項目にかなりの違いがあるのだが、ここではそれらの差異にあえて目をつぶって記述を統一してある。したがって、19世紀後半の楽譜には必要のない項目が形式的に必ず入っている反面、もう少し内容に踏み込んでほしい点も見受けられる。このような不満を抱えつつ、私はべートーヴェン初期楽譜目録において項目や記述内容を決定する際、ベートーヴェンの巻だけでなく、目録全巻を参考にした。この目録で採用された楽譜の形態に関ずる記述方法はAACRの目録規則やバイエルン国立図書館の所蔵目録で採用されているものとはまったく異なっているが、近年出版が盛んになってきた新しい作曲家の主題目録でも一般的になりつつある。楽譜の形態の記述以外にもタイトル・ページの詳細な記述、タイトル・ページ以外に記された記述、透かしや楽譜の書誌学的位置に関する記述等、貴重書目録とすでに17巻もの所蔵目録が刊行されているアントニー・ヴァン・ホーボーケン目録についての報告があった。この目録は17世紀から19世紀の楽譜出版を考える際、もっとも広範囲にデータを提供してくれる。実際にはそれぞれの時代によって楽譜の目録に必要とされる項目にかなりの違いがあるのだが、ここではそれらの差異にあえて目をつぶって記述を統一してある。したがって、19世紀後半の楽譜には必要のない項目が形式的に必ず入っている反面、もう少し内容に踏み込んでほしい点も見受けられる。このような不満を抱えつつ、私はべートーヴェン初期楽譜目録において項目や記述内容を決定する際、ベートーヴェンの巻だけでなく、目録全巻を参考にした。この目録で採用された楽譜の形態に関ずる記述方法はAACRの目録規則やバイエルン国立図書館の所蔵目録で採用されているものとはまったく異なっているが、近年出版が盛んになってきた新しい作曲家の主題目録でも一般的になりつつある。楽譜の形態の記述以外にもタイトル・ページの詳細な記述、タイトル・ページ以外に記された記述、透かしや楽譜の書誌学的位置に関する記述等、貴重書目録として必要最小限の項目を満たしている本目録の利用範囲は広いだろう。 して必要最小限の項目を満たしている本目録の利用範囲は広いだろう。

---------------------[写真]--------------------- バークリー校クラーク・ケール・キャンパス ------------------------------------------------
あのクロノス・カルテットが聞けるとは!!
 この大会に参加した楽しみの一つは現代音楽の演奏で名高いクロノス・カルテットの演奏会だった。プログラムはクロノスから委嘱された曲とクロノスのために編曲された曲から構成されて大変によく考えられた楽しいプログラムだった。
 親しみやすいアメリカの現代音楽から入った演奏会は一転してラクリモザへ。アメリカの音楽図書館員にささげられた鎮魂の曲を聴きながら、音楽図書館員の国際会議のアトラクションで、かの有名なクロノス・カルテットに演奏してもらえるとは彼はなんて幸せな人だろうと思った。
 休憩をはさんで、次はスティーブ・ライシュのコンピュータと合成した音をいっしょに使った曲。私たちはライヒと発音しているが、カルテットのメンバーによる曲目紹介でライシュと発音されていたのが耳に残った。
 最後は、次の大会開催国であるエストニアに敬意を表して演奏されたのだろうか、ラトビア出身の作曲家による四重奏。初めて聞く名前であったが、北欧特有の静謐な曲のつくりが印象的だった。
 私は4年前にもスイスのジェネーブで開かれた大会に発表者として参加している。慣れない英語での発表はたしかにかなり重荷ではあったが、いわばお客様としての参加だった前回に比べて、今回は大会のプログラム構成や運営その他にも多少は眼を向けることが出来た。会場となったクラーク・カー・キャンパスは低い丘を背に広々と広がる会議専用施設で、宿泊施設も備わっている。大部分の参加者のみならず主催者、アメリカのIAMLメンバーもほとんどこの施設に泊まりこんでいて、様々な連絡に好都合だった。朝食、昼食も大食堂で一緒にテーブルを囲めば、会議と会議の間には飲み物、軽食がふんだんに用意されていて会議や発表とは別にインフォーマル・コミュニケーションが容易に成り立ちやすい環境にしつらえてあった。総会と各国支部報告、それに全員参加が原則の開催国アメリカ合衆国についてのセッションを除き、二つのセッションとワーキング・グループが同時進行で行われたが、参加者の興味に沿ってうまくプログラムが組んであって、どちら参加しようか迷うとか、2つの会場をはしごするような事態は避けられていたように感じた。
 アメリカで行われたことに関係しているのか、発表はすべて英語で、しかもセンテンスが長く、複雑かつ早口で、語学力のなさをこれでもか、これでもかと思い知らされた。前回はフランス語やドイツ語での発表もあったと記憶しているが、この何年かの聞に、音楽図書館の世界は完全に英語の天下になってしまったようだ。私の不十分な英語力では完全に理解したとは言いがたいのだが、それでもあえて大会の口頭発表の質に一言言及しておきたい。実務報告がその大部分を占めていたが、おそらく私が何十年かに渡る図書館員生活の中で体験した、私の所属している国立音楽大学図書館における様々な会議での報告や音楽図書館協議会での仲間の発表は、今回の国際大会での発表になんらひけは取らないし、もっと質が高い報告もあると明言できる。音楽図像学部門の発表は学会の研究発表に最も近い形だと思われるが、ネルソン氏主催のプロジェクトに所属して、毎回興味深い研究発表に接している私にとって、この場は日本で行われている研究活動の質の高さを改めて認識させてくれるものであったことも付け加えておこう。英語という言薬の壁があることは承知の上で、もっと多くの仲間が進んで世界に向けて発信してくれる日を待ち望んでいる。  なお、次年度は7月にバルト三国の一つ、エストニアで行われる。会期中パンフレット、ヴィデオなどで盛んな宣伝活動が行われていたが、古い歴史をもった大変に美しい国だという。

◆ ◆ ◆

lAML Berkeley報告 (藤堂 雍子)
 北米での久々の会議はサンフランシスコに近いカリフォオルニア大バークリー校のクラーク・ケール・キャンパス研修施設で8月4日〜9日まで開かれた。国際音楽学会と日程が重なったこと、ヨーロッパ勢からみると西海岸は遠かったこと、昨年9月の事件も幾分影響しているせいか、常連で顔を見せない人もいたが、日本からは、関根敏子、長谷川由美子、伊藤真理各氏と筆者の4人が全日程参加、岸本宏子氏も初日顔を見せられた。会議場と宿舎が同じキャンパス内にあり、到着早々、日本勢の部屋に昨秋来日された会長J. ロバーツが東京での返礼としてウェルカム・フルーツの大きなバスケットを自ら持ってドアをノックされるなど、ほとんどの人が互いのドミトリーを行き来できる親密な環境だった。以下要点を追ってご報告する。
 カウンシル・ミーティングは、本部(board)・各部会(branch, committee, working group)役員(officer)と各国支部代表(national branch representative)全員が参集し、昨年から今年にかけての報告や進展を確認し、新たなを提案を協議し、規定に基づき採択する会議体であるが、公開されており、誰でもオブザーバーとして参加し、意見を述べることもできる(採決は役員、各国支部代表者のみ)。どのように運営されているか知ることのできる機会でもあるし、新旧の引継時には効果を発揮する。事務長A. オールの2001年ペリグー会議のまとめの後、会長、J. ロバーツは、IMC総会の開かれた2001年東京会議、その機会に設けた日本支部会長ら数人との夕食会なども含めた報告。またこの1年の間に亡くなったI. フェリンガー(逐次刊行物ワーキング・グループ座長)、D. ホールズ(元本部役員)各氏への哀悼の辞が関係者から述べられた後、会長が渡部恵一郎氏(元日本支部長)への哀悼を自ら加え全員黙祷が捧げられた。事務長、会計、機関誌Fontesの編集長、電子情報通信(電子掲示板、ホームページ、電子Newsletter)担当者、IFLA, IMC, ICA, IASA, ISO, EBLIDA, IAMIC, ISWCなどの関係機関、出版委員会、著作権委員会、公共図書館に関するアンケート調査(日本支部は2001年度に、MLAJ公共図書館部会の協力を得て、支部長、事務局長から依頼を受け筆者が回答済み)などの報告が続いたが、ここでは新たに提議され採択された規定、委員会新設・再編、ワーキング・グループ新設を中心にご報告する。まず、第一に、選挙規定6条の部分改訂で、会長・副会長選挙に当たって、投票用紙の発送時期や開票の要員調達方法の細部を規定化、開票と結果公表の時期が早くなるなど、機能化が意図されている。第二に、年次会議のプログラム委員会が発足した。これはプログラムに一貫性をもたせ、重複を避ける調整機関であると共に、東欧地域での会議準備強化策となるだろう。任期2年の座長、任期1年の指名座長、次期年次会議のホスト国代表者、本部事務長、ほかを臨機応変に加え、会長も職務として加わる。座長は元会長で英国ローヤル・カレッジ・オヴ・ミユージックのP. トンプソンが名乗り出て決定した。第三に、また出版委員会の再編成が提案された。今まで分担し、権限を委託されていたが、電子通信情報(掲示板・ニューズレター)との連携の必要性や、より幅広い視点、発行の形態の電子化構想、などが配慮されていると考えられる。出版に関する規定9条の改定となる。4名の副会長(Vice-president)の中の1名が座長を務め、Fontes編集長、Newsletter編集艮、ホームページのWebmasterが出版委員会を構成する。座長は提案者でもあるパリ音楽院のD.アウスファッテル。この他、第四に、書誌委員会の下に「演奏家索引」と、「IRMA(International Register of Music Archives)の正式認可」促進に向けた二つのワーキング委員会がD. デイ(米国)によって提案され、彼を中心に立ち上がった。一方で、旧共産圏やアフリカ、南アメリカ、アジアなどへのアウトリーチ活動についてR. ヘレン(英国)が昨年来15カ国から基金が寄せられたことを報告した。これは毎年支部宛に報告が求められ、それに基づいたレジュメである。また、恒例の各国支部報告(National reports)では、休眠していたオーストリアが支部を立ち上げたこと、フランスではラテン音楽理解への気運があること、北京中央音楽院図書館のスピーチがあったこと、ハンガリーからドブリンガー出版社の再編などが挙げられた。この支部報告は金曜日のカウンシル・.ミーティングに後半が持ち越され、日本支部は長谷川由美子新事務長から、渡部恵一郎元支部長逝去、新支部役員改選、支部例会で紹介されたDTOの細川ガラシャ夫人を題材とした舞台音楽に関するTV放映、再現演奏会の話題、京都市立芸術大学による「日本伝統音楽を対象とする音楽図像学の総合研究」プロジェクト、国立音楽大学ベートーヴェン研究所の近況などが報告された(本報pp. 15-16参照)。ノルウェーからは国立図書館OPAC英語版設置と2004年の大会に向けてホームページ準備中であること、UKからは、アイルランド支部と交流を持ち、メンバー減少の方策としてUKと合流、新たな支部編成をしたこと、NUC (National Union Catalog) への音楽資料参入について、USAからは、支部改選と、昨年9月テロでe-mailが数ヶ月使えなくなった事例などが報告された。また、著作権委員会は、EUディレクティヴによる各国の著作権の排他的権利の例外・制限について、教育・研究に不利な規定化が進まないよう、音楽図書館としての要望書を、関係機関に提出することの同意を求め、IAMLの会長名で提出することが合意された。さらに、新しい事務長に、ニュージーランド国会図書館音楽部門の主任司書R. フルーリイが推挙された。欧米以外から初の事務長誕生となる。  オープニング・セレモニーはバークリー校バンクロフト総合図書館の入り口にあるバルコニーで開かれた。夏というのに異例の"寒さ!"で、ロビーに展示された古今の貴重な音楽資料コレクションを眺めたり、伝統を感じさせる重厚な特別閲覧室で歓談することができたのは幸いであった。
 初日の第一セッション著作権委員会は、「国際著作権問題: 和声あるいは対位法?」というタイトルが付され、世界知的所有権機構 (WIPO: World Intellectual Properities Organizaion) 条約採択により、従来図書館が扱ってきたいわゆる著作物以外の知的産物、とりわけ情報通信技術に付帯する権利の関係処理が、複雑になり、あるいはdigital is differentと唱えているように、複写や、情報通信利用そのものが一括処理になっていく傾向が強くなり、その結果高額になる、など研究・教育の立場で図書館利用する側にとって、「公正利用」を脅かされる事態となっている。特に国内法で「公正利用」の運用を具体的に規定化している英米法、ドイツ法以外のラテン系諸国や途上国では、これまでの当事者間による「複写契約」処理などでは対応しきれなくなっていて、教育機関での「公貸権」すら認めない国も出ている。傍ら、我々に必須の「音楽資料」「録音録画資料」については、EU加盟国でも実施に当たって細則化されていないことが多い。図書館活動そのものが脅かされるという危機感が、EUディレクティヴ進展に伴って1999年ころからヨーロッパで起こり、それに沿った国内著作権法がどのように再規定化されるかに関心が寄せられてきた。コンビューター時代を先頭切って乗り切っている米国における著作権処理が実際どのようなものなのか、EUディレクティヴと調和できるのか、が今年のテーマであった。  米国著作権事務所の一人目の報告者は、著作権法に国際法など存在しない、とまず切り出し、WTO (World Trade Organization)、TRIPS (Trade Related Aspects of Intellectual Property Agreement), GATT (General Agreement on Tariffs and Trade) など経済用語辞典を見るまでもなく著作権は、モノの貿易だけでなく知的所有権を含めた世界貿易統括の時代に、工業所有権(開発、特許権、実用新案権など)と同一レヴェルで処理される枠組みにあり、WCT (World Copyright Treaty)、WPPT (World Performane and Phonograms Treaty) 条約が今年前半に締結追加されていることなどが解税された。米国ではベルヌ条約に沿って内外の著作者の権利が不均衡になることなく著作者の排他的権利と同時に「公正利用」、すなわ.ち「例外」があることを前提として「細則化」がDMCA (Digital Millennium Copyright Act) の下で進んでいることを報告し、「国内法」にはそもそも著作権侵害となる違法な技術上の「出し抜き行為」を妨ぐ規制など、ローカルな現実に即した対応が必要で、何が適切で勅果的かを見極めることは各々の国レベルの課題であろうというのが米国著作権事務所の考えであるようだ。舞台芸術における演者や、録音資料の制作者などの著作隣接権に関する細則についてはこれまで論争の的となってこなかったこと、電子テクノロジーのハイウェイでは、特殊なものへの対応は後回しになることが常であることも補足された。  舞台芸術における演者や、録音資料の制作者などの著作隣接権に関する細則についてはこれまで論争の的となってこなかったこと、電子テクノロジーのハイウェイでは、特殊なものへの対応は後回しになることが常であることも補足された。
 2人目のレポートは、「デジタル音楽流通機構における著作権問題」について音楽産業サイドから出され、インターネットの普及によって音楽、映画、AV作品、文学作品、視覚芸術を含んだ著作権が世界中至るところで電子化されているが、それとは対照的に国際著作権のシステムは領域内保護を基本ゴンセプトとしているので、主な国際条約の最小限の標準に立った国内での著作権管理形態の進展は、実際には個々の地域の法、習慣、ビジネスの実際によって多大な影響を受けて運用されていること、すなわち1990年代以降、経済価値のある知的所有物が制作者への許諾や支払いなしに乱用され、その肥大化を回避する法制化の複雑な事例が列挙され、EUディレクティヴとの差を少なくする意向もあること、などが述べられた。
 3人目の報告者であるMLA(米国音楽図書館協会)法制委員会座長の、B. ベッチャーは、米国図書館協会が、いかなる著作権問題の議論においても欠かすことのできない発言母体であり、音楽図書館協会は「音楽」関係のデジタル・デリバリーの様々な段階での議論に参与し、教育・研究などの「公正使用」とその電子的保存に関して、陳述を進展させてきた立場を表明した。この中で、著作権所有者の権利を認めると同時に「公正利用」を既存のこととして、また電子配送することの意味を単にトゥール(手段)と認識していること、すなわち、使用の性質が配送のメカニズムにではなく、何を目的としているかが考慮されなければならないかにあることを述べた。1996年以降、MLA法制委員会は著作権だけでなく、こうしたデジタル・デリバリーを含めた様々な問題について意見聴取をして疑問を整理し、最近のソニー・ボノ著作権用語拡充法への挑戦なども含め、医学図書館協会など類似関連機関との連携を取りつつ情報を交換している、と報告した。
 翌日の同委員会2日目のセッションでは、1994年のオタワ会議から始まったこの著作権委員会の今後の進め方についてのディスカッションが用意されていた。イタリアでの「公貸権」禁止措置(音楽学校図書館での楽譜貸出の全面禁止)の解説と著作権勉強会の報告(SIAE=イタリア音楽著作者・出版社協会、作曲者や出版社を加え、著作権保護対象者リスト作成、絶版楽譜・現代音楽の複写に関する伺意文書作案)、また、今年5月末のMLAJ(日本音楽図書館協議会)での著作権研修会(筆者は、国際動向についての報告をMLAJから求められ、過去のIAML資料の送付などを座長にお願いし、どうにか発表に漕ぎつけたのだが)のレジュメをしてほしいと求められ、短いレポートをした。著作権問題は複雑で、かつてないほど今日の情報技術開発とそれに敏感に反応する世界経済動向に密接に繋がっている。IAML著作権委員会も関係機関(自国の著作権事務所、図書館協会、EU)にコミュニケを送るなど、問題の所在を整理する傍ら、積極的に意見表明していくことに迫られている。情報交換、勉強会が主たる委員会活動だが、拡大委員会の方針が立てられ、中南米や、日本を含めたアジア地域もそのメンバーとして参与するよう要請された。MLAJ著作権委員会との連携を取りながら成り行きを随時ご報告しようと思っている。 て参与するよう要請された。MLAJ著作権委員会との連携を取りながら成り行きを随時ご報告しようと思っている。
---------------------------写真---------------------------------
日本支部メンバー(左から関根、藤堂、長谷川)とデンマーク放送局のライブラリアン(2002年8月5日 大学中央図書館の特別閲覧室で)
------------------------------------------------------------------
 サーヴィスとトレーニングの委員会は、今年はイタリア、米国、イギリスからミュージック・ライブラリアンの養成・研修の現状が報告された。Paleographie Musicaleの編者でもあるP. ザッパラ(パヴィア大学音楽文献・古文書学科、クレモナのヴァイオリン製作工房と建物を共用している)は、「失われた機会と新しい要請: ミュージック・ライブラリアン教育概観」と題し、イタリアの図書館には多くの目録化されなければならない音楽遺産と関連資料が未着手で存在するにも関わらず、特別な教育が必要なミュージック・ライブラリアン専門教育の機会を逸していて、音楽学校や2, 3の公共図書館での個々の活動を除いて、法的にも位置づけられていないため、教育システムの基礎や持続に欠けていることを指摘した。もし基礎教育の場が大学であるという考えを是とするなら、この欠落を認識するのが当然なのだが、過去25年間図書館学は音楽資料そのものに目を向けようとしてこなかったし、音楽学は図書館学の方法や原理に気づかないできた。「文化遺産の保存」の課程では、そのタイトルや目的にかかわらず、両者の見地を正しく結びつけることができなかったとし、では「音楽遺産の保存」に、大学カリキュラムとして何が求められるかに言及している。基礎として文献学、歴史、哲学、専門教育として図書館学、音楽学、美術史、法律、いずれかの技術教育、補助教育として、古典文学、と技術的な科目、他に外国語、コンピューター知識、舞台学、論文、選択科目などをカリキュラムとして挙げているが、課程を設ける一方で、教育政策、スタッフ、市場開発、就職市場窓口を整えることが求められることだが、実際にどのような課程が設置されてきたかを調べると現実とのギャップが大きいと指摘し、改変と大学・音楽院・音楽図書館の連携の必要性、専門教育認可の方向を将来に示唆している。ニューイングランド音楽院のJ. モローは、へッド・ライブラリアンであると同時に音楽図書館員養成コースで教鞭を取っている。「21世紀における米国のミュージック・ライブラリアン教育」と題し、90年代の専門養成コースの教育成果を統計的に示し(因みに米国において図書館学取得認可大学は50以上あり、ミュージック・ライブラリアン養成学科は内6大学に修士課程がある)たが新しい世紀に入って劇的な修正に至っていること、すなわち従来の専門教育に加えて、電子情報検索、Websiteの構築、音楽資料の電子保存とシステム・デザインや電気通信学に関する知識がカリキュラムに組み込まれていることを紹介し、コンピューター・テクノロジーへの比重が高くなっている一方、既出版の文献学の比重が低くなっている問題を指摘し、一連の音楽図書館学関連文献リストを解題してみせた。Fontes編集長でもあるJ. ワグスタッフ(オックスフォード大学)はRCMのA. エスコットと「自身で助け合って: 音楽レファレンス・ソースを活用したIAMLの上級研修コース」と題した英国支部の1998年から始まった研修を紹介した。オックスフォード、マンチェスター、RCM音楽図書館の特殊コレクションを教材として、受講者や企画側の意見を随時採り入れながら、評価をフィードバックする方法を採っている。貴重な音楽資料ソースを手元に持ち、それを実際の教材に活用しながら、文化保存を実地に学ぶ方法は、ヨーロッパの図書館ならではの方法だろうと思う反面、翻って見ると我々はそのような音楽遺産を持たない、というわけでもない。西洋音楽受容(前史はあるにしても)百年余り、そして戦後50年を越えた今日、身近な未整理の音楽資料・ドキュメント資料類もおろそかにできない時期だろう。広い視野の下で地道に、手元の音楽文化の記録を積み重ね、次代にそれを繋げていくことをやはり考えていかなければいけないのだろう、と思い至るが、そのような器のなんと少ないことか。

◆◆◆

RILM委員会に参加して
関根敏子(音楽文献目録委員会、RILM日本支部、事務局長)
 RILM(国際音楽文献目録委員会)のセッションは2回、ひとつは公開、もうひとつは各国支部実務担当者限定のミーティングである。2002年8月6日(火曜日)午後2時15分からの公開セッションでは、まずニューヨーク国際センターの事務局長バーバラ・マッケンジー (Barbara Mackenzie) から本部の活動報吉があった後、索引の抽出法などの問題について議論がなされたが、結論は出ないまま終了した。以下は本部の活動報告の要旨である。

(1)概観
 各国支部の活動は活発で、今年は約15,000項目の文献送付があった(約20%増)。『RILM Abstracts』(国際音楽文献目録)の第31巻は昨年の秋に完成、第32巻は9月に印刷予定。オンラインやCD-ROMなど電子版は最新情報に近くなっている。過去の文献のデジタル化も始まり、過去と未来の両方向へと文献情報を充実させつつある。事務局内のデータベースに関しては技術的問題が残っているが、新しいシステムが動き始める予定である。

(2)進行状況
 編集と打ち込み作業を別々のグループで分担するようになり、RILMデータベースに登録して、電子文献情報をアップデートするまでの時間が短くなった。国際センターオフィスに到着してから3ケ月以内にデータベースに入り、その直後にオンラインで公開される。たとえば第33巻(1999)の文献はすでに18,095件集まっており、15,843件がオンラインに入っている。
 印刷版では、第31巻(1997)の出版が大幅に遅れた。これは、RlLM事務局データベース・システムが入っているCUNYネットワークとの技術的問題によるところが大きい。その後、2001年9月に印刷、11月には予約購読者に郵送された。この巻には19,689件の文献が含まれる。第32巻(1998)は、2002年9月に印刷予定。
 過去の文献デジタル化については、Andrew W. Mellon Foundationの助成のおかげで、3人の編集者と1人のアシスタントにより1966年から順次19世紀宋まで遡って編集し索引を作成する予定。

(3)RILMオンラインとCD-ROM
 RILMはOCLC First SearchとNISCのBiblioLineで利用できるが、2002年2月からはSilverPlatter/Ovicでも可能になった。これら3つは毎月アップデートされている。過去文献のデジタル化は1967年と1968年が終了、6,625件がNISCとOCLCのRILM電子版に加えられた。
 OCLCは年間予約購読のみで利用可能(無制限検索で、件数ごとに支払うものではない)。NISCは、現在、RILM、RlPM、RISMを含み、これら3つのデータベースを同時にでも別々にでも検索可能である。

(4)文献選定のガイドライン
 昨年のIAML国際会議ではRILM採択ガイドラインの改訂に関する多くの論議がおこなわれた。新しいガイドラインは、理事会が最終案を承認した後、今年末には各国支部に送付される予定。その後RILMのWebにもアップする。改訂版は、拡大していく音楽研究、多くのサブジャンル、増大していくネット出版の役割なども考慮して、文献の収集範囲を見直したものとなる。RILMの編集方針は、初期の精鋭主義から網羅主義へと大きく転回してきたが、CD-ROMやネット時代に入って今度は新しい分野や学際的な文献に関してユーザーを考慮した新基準が定められる予定。

(5)新しいデータベース・システム
 昨年予告したように、事務局ではウェブと連動した新しいデータベース・システムSQL Server databaseに書き換えつつある。作業に予想以上に時間がかかり、作業開始が大幅に遅れた理由のひとつに、昨年9月11日のテロ事件がある。なぜなら事務局は世界貿易センターのすぐ近くにあり、1ケ月ほど立ち入り禁止になったからである。このデータベースでは、各国支部からもインターネントでアクセスできる部分も含まれる予定(たとえば著者名、雑誌名、出版社、シリーズ名などのフィールド)。またすでに送付した文献をチェックし、変更することも可能になる。とはいえ、現時点では未完成であり、まだ有効であるかどうかは不明である。

(6)その他
 雑誌のデジタル化に関するRILMとJSTORの提携、事務局スタッフの異動、また9月11日、ニューヨーク国際センターのオフィスはミッドタウン(エンパイア・ステートビルの向かい)にあったが、スタッフは全員無事であったことなどが報告された。なお、翌週に世界各国から殺到したメールの多くは、各国支部とIAMLメンバーからであった(日本支部からは事務局長がメール)。これらのメッセージはスタッフ全員で読み、注意深くセーブ、そしてRILMが攻撃のすぐ後で慈善コンサートを手伝った時、プリントアウトしてコンサートホールの掲示板に貼り出したという。

8月8日(木曜日)午前11時15分
 数年前からIAML国際会議の会期内に各国支部の実務担当者のみの会合が開かれている。国際センターへの文献送付に関する質疑応答が中心で、今年の出席者はのべ20人ほど。詳細は省略するが、毎回思うのは、たとえば雑誌や書籍を図書館が受け入れてから出てくるまでに時間がかかる、要旨作成を依頼してもなかなか送ってくれない等々、やはりどこでも悩みは同じということである。また、今年はカナダとメキシコ支部からの報告もあった。このセッションでは、本部の活動報告(上記と同じ)に加えて、各国支部からのナショナルリポートとともに、送付文献数のリスト、本部からのコメントなどが配布される。これは一種の勤務評定のようでもあり、緊張を感じる一瞬である。幸いにも、日本支部は年々送付文献数が増大している点で高く評価されている。ちなみに、今年は55の支部の中で4ケタの数字は5ケ国だけ。ドイツ3,936を筆頭に、アメリカ2,696、ハンガリー約1,300、日本1,298、ロシア1,113と続く。こうした実務担当者が直接に顔を合わせて悩みを語り合うのは、普段は孤立した作業を進めているメンバーの連帯感を強める効果もある。現在の事務局長バーバラ・マッケンジーになってからは、国際的プロジェクトを一緒におこなっているという意識を強めようとする傾向を強く感じる。  新しい動きとしては、インターネットによるメーリングリストRILM-Lの設置がある。参加は各国支部でひとりに限定されていることもあり、現時点での登録者は14人だという。だが、年1度ではなくリアルタイムでの会話は国際版編集に大きな助けとなる。日本も事務局長が帰国後に参加した。
 なお、数年前からは、IAML国際会議中にRILM主催の親睦会が毎年おこなわれている。最初は有志の集まりであったが、昨年からはプログラムに明記されている(義務ではないが)。とりわけ印象に残っているのが、昨年のペリグー(フランス)で、路地に椅子を並べて真夜中まで大いに盛り上がった。その時、筆者の隣にいたチェコの人におもちゃの凧を差し上げたら、ニュージーランドの人がとても羨ましそうに見ていた。運良く同じものを持参していたので翌日渡したところ大いに喜ばれ、今年お会いした時、それを事務所の壁に飾って毎日見ていると言われたのである。また中国の人からは、昨年一緒に取った写真をいただいた。
 今年は水曜日の夜10時から会議場の中庭で開かれ、午後の遠足で訪れたカリフォルニァ・ワインの醸造会社で試飲した4種類の中から赤ワインを購入し、気前良く栓が開けられた。ちなみに選択された種類(フランスワインとの混合)は、この遠足で筆者個人がもっとも気に入ったものと同じであった!

lAMLのコンサート
閲根敏子(音楽文献目録委員会 事務局長)

 毎年IAML国際会議で催されるコンサートは、開催国の伝統音楽と現代音楽の2回が多い。つまり、開催国の過去と未来を示す重要な機会なのである。会議のプログラムが届くと、今年は何が演奏されるのかとページを開くのが楽しみなほど。印象に残っているのは、サンセバスティアン(スペイン)近郊にある古いバスク様式の教会でのバスク人音楽家グループ(とアルゼンチンの女性歌手)による中世音楽、デンマークでは現代美術館で開催された同国の若手打楽器奏者サフリ・デュオによる現代音楽(最後の三木稔作品での熱演に拍手の嵐)等々、数えきれない。記念大会だった昨年のフランスでは3回。中世の面影を残す教会でのトルバドゥールと中世アラブ音楽のコラボレーション、由緒あるオルガン2台を使い分けたコンサート、そしてヴィエル(ハーディーガーディ)・オーケストラ!による民俗音楽と現代音楽。
 今回バークリーでのコンサートは2回。ひとつは現代音楽、もうひとつは古楽。月曜日の夜は、現代音楽の旗手としてアメリカばかりでなく国際的にも大活躍のクロノス・カルテット。古典的な弦楽四重奏の形態を維持しながらも、電気的な増幅装置をつけることもいとわず、レパートリーもジミー・ヘンドリックス、ピアソラかちアフリカ音楽、さらには西洋の中世音楽まで積極的に取り組む。今回のプログラムでも、さりげなくコメントを挿入し、曲のひとつひとつにこだわりがあることを理解させるとともに、客席との一体感を楽しんでいた。火曜日の夜は、バークリーの図書館所蔵の貴重な写本と現地で製作されたチェンバロを使用してのコンサート。いずれもIAMLならではという企画で、バークリーの図書館と関係の深い人物や写本を取り上げていたことも注目に値する。

8月6日(火曜日) デイヴィット・モロニー チェンバロ・リサイタル
 プログラムは、UCバークリーの音楽図書館資料によるフランス17世紀音楽。前半は、パルヴィル写本(MS 778、1695頃筆写)からイ短調の7曲。この写本がアメリカにあることは以前から知っていたので、個人的には今回の会議のもうひとつの目玉と言ってよいほど楽しみにしていた。実物を見たのは、日曜日のオープニングパーティー会場の展示が初めて。思ったよりも小さい! というのが第一印象であった。そしてコンサート。夜8時開演ということで、早めにホールへと向かい、前から2列目の真中の席(ただしここだけ1列目がない!)にすわり、今か今かと開始を待った。舞台には、現地の製作者によるフレンチ・タイプのチェンバロ(ジョン・フィリップス、1995)が置かれている。いよいよ、演奏者のモロニーが登場。1950年イギリスに生まれ、オルガン、クラヴィコード、チェンバロを、ケネス・ギルバート、グスタフ・レオンハルトに師事。ロンドン大学(キングズ・カレッジ)でサーストン・ダート、ハワード・M. ブラウンに音楽学を専攻した後、1975年にバークリーで博士号を取得(イギリスの宗教改革時代の音楽)。その後パリに住み、50以上ものCDを録音するとともに、フランソワ・クープランなど数多くの校訂楽講を出版。昨年からバークリーに戻って活動している。  リサイタルは、ルイ・クープラン(1626頃〜61)の「フロベルガー氏を模倣したプレリュード」から始まった。当時パリを訪れたと言われるドイツの音楽家ヨハン・ヤーコブ・ブローベルガー(1616〜67)との密接な関係を示すタイトルの存在も重要である。その後、同時代の音楽家[ジョゼフ?・シャバンソー・]ド・ラ・バール(1633〜78頑)のアルマンドと[エテイエンヌ?・]リシャール(1629〜69)のクーラント、上記クープランのサラバンド、同ド・ラ・バールのジーグ、作者不詳のガヴォット「わたしたちに約束した神が」と続き、最後にルイジ[・ロッシ](1598〜1653)のパッサカリアで締めくくられた。
 このように、モロニーは写本から作曲家は異なるが同じ調性の舞曲を選び、いわゆる組曲のかたちで演奏したのである。同じ組曲でも当時のフランスは、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685〜1750)の場合とは大きく違っていた。すなわち、当時のフランス組曲では、ジーグの後にも曲を続け、最後を3拍子の舞曲で締めくくるのが普通だったのである。また、このように同じ調性の舞曲を選んで並べるのも、フランス独自の習慣であった。
 プログラム後半は、まずジャン=バティスト・リュリ(1632〜87)の最後のオペラ《アルミード》(1687)の編曲。当時のフランスでは、人気のある作品を鍵盤楽器、リュート、ギターなどに編曲して演奏するのが流行していた。上記写本と同じくバークリーの音楽図書館に所蔵されているメヌトゥ写本(MS 777、1690頃筆写)には、作者不詳の3曲(序曲、ロンドー形式によるガヴォット、メヌエット)が見出される。モロニーは、ここにジャン・アンリ・ダングルベール(1629〜91)が出版した《クラヴサン曲集》から2曲を付け加えた。次はダングルベールの「シャンボニエール氏の追悼曲」(1672頃)。追悼曲(トンボー、墓)とは、後にモーリス・ラヴェルが「クープランの墓」で参照することになる17世紀フランス音楽で流行したジャンルで、亡き師や友人を偲ぶ気持ちがこめられている。ジャック・シャンピオン・ド・シャボニエール(1601/2〜72)は、フランス・クラヴサン楽派の創始者で、ダングルベールの師にあたる。
 プログラムの最後は、やはりパルヴィル写本に含まれるルイ・クーブランの組曲ホ短調(プレリュード、「平和のアルマンド」、クーラント、サラバンド、[ジーグによるアルマンド])。この写本は何よりもまず、L.クープランの作品を組曲のかたちでまとめなおしたという点で注目を浴びたものであるから、リサイタルの締めくくりにふさわしいと言えよう。アンコールも写本からの数曲が選ばれていた。
 こうしてリサイタルは終わった。しっかりとした熟慮を重ねたプログラムと同様、モロニーの演奏は、確実なタッチで丹念に音楽を再現していく。実を言うと、モロニー氏は、氏自身が多数の校訂楽譜を出版しているオワゾーリール社の社長と一緒に日本を訪れており、その時に筆写もお会いしたことがある。リサイタルの後、ホールのロビーで催されたレセプションで、モロニー氏にお会いした時、その話を申し上げたら、笑顔でよく覚えていると答えてくださった。

Annual National Report from the Japanese Branch of IAML (IAML 2002 Berkeley)

 以下はIAML2002で日本支部事務局長長谷川由美子が行ったナショナル・レポートです。英文翻訳はS. ネルソン氏。

I am Yumiko Hasegawa, the new Secretary of the Japanese Branch of IAML.
First, I have some sad news Prof. Keiichiro Watanabe, President of our national branch for many years, passed away last December. We hope that you will join us in praying for the repose of his soul. Second, I would like to report that this year was an election year at our branch, and we now have a new board of directors. They are Tsuneko Arakawa (President), Lin Shuji (Vice-President), Yumiko Hasegawa (Secretary), Kazue Sekine (Treasurer), Tsutomu Hosoda, Hitoshi Matsushita, Steven G. Nelson, and Tsutomu Sasaki (Members-at-Large) Third, I would like to share with you an example of a theme discussed at one of our branch meetings being taken up more widely in both the scholarly world and the media. At a meeting held in March 2001, Fumiko Niiyama-Kalickiit read a paper on co-editing the DTO (Denkmaler der Tonkunst in Osterreich) Band 152, "Mulier Fortis" by Johann Bernhardt (1654-1712). This is a music drama performed at the Viennese court by the Jesuits, which deals with the martyrdom of a noble Japanese woman of the sixteenth century. A television producer who saw the report on this session on the Japanese Branch's webpage put together a television program based on the paper, and this was broadcast last autumn. Kaori Yoneda, a member of our branch who wrote the report, has also written an article on it. In addition, the Japanese premiere of the music drama, entitled "Hosokawa Garasha Fujin" in Japanese, is to be held in Kumamoto, Kyushu, in October this year. Finally, I have four brief things to say about new developments related to Japanese libraries, research centers and IAML.
1. The Research Centre for Traditional Japanese Music of Kyoto City University of Arts has established a long-term research project to study the possibilities for music-iconographical research on the traditional music of Japan. It is in its second year, and two research meetings are planned for this fiscal year, in September and January. 2. A detailed survey of music collections in Japan was published on July 25 by the Music Libraries Association of Japan. I am afraid that it is only available in Japanese.
3. The number of the institutional members of the Music Libraries Association of Japan that have made their catalogs available via the Internet through our WebOPAC system has increased to nine. We will also be commencing this service in English at the Kunitachi College of Music Library from September of this year. 4. A catolog of early printed editions of Beethoven's works held by the Kunitachi College of Music Library was made public on the Internet in March of this year. I will be speaking about it at the session on Beethoven bibliographies on Thursday afternoon. Thank you

 日本からのレポートです。私は事務局長を務めています長谷川です。

 まず、悲しいお知らせをお聞かせしなければなりません。ジョン・ロバーツ氏が既に述べられたように、長らくIAML日本支部の支部長を勤められた渡部恵一郎先生が昨年お亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。  2番目に、役員改選が行われ、新役員が決まりました。新役員は以下のとおりです。

 支部長:荒川恒子
 副支部長:林淑姫
 事務局長:長谷川由美子
 会計:関根和江
 役員:松下ひとし、スティーヴン・ネルソン、佐々木勉、細田勉

 次にIAMLの例会がきっかけで他の動きに広がっていった例をご紹介します。2001年3月に行われた支部例会、新山冨美子さんの講演「イエズス会『Mulier Fortis「細川ガラシャ夫人」』(DTO Bd. 152)を校訂して−ヨーロッパの図書館でも経験を中心に−」の報告(IAMLホームページ)を見たテレビ番組制作者が、この発表を盛り込んだテレビ番組を製作して、昨年の秋に放映がありました。また、発表の傍聴記を書かれた米田かおりさんはこの記事をもとに研究論文を執筆されました。さらに今年10月には九州の熊本で音楽劇「細川ガラシャ夫人」の公演が計画されています。本邦初演です。
 最後に日本国内の音楽図書館や、IAMLに関連する4つの動きです。
 第1番目は京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター研究プロジェクトについてです。当センターでは日本の伝統音楽を対象とする音楽図像学の可能性を探るための長期研究プロジェクトを発足しました。目下2年目で、2002年9月と2003年1月に研究集会が予定されています。
 次は「日本の音楽コレクション」の出版です。音楽図書館協議会の編集で7月25日に出版されました。
 3番目はOPACを公開している音楽図書館協議会加盟館が9館に増えたことです。そのうち国立音楽大学図書館は英語版の稼動を9月に始めます。
 4番目は国立音楽大学図書館所蔵のベートーヴェン初期印刷楽譜目録が今年の3月にインターネット公開されたことです。