International Association of Music Libraries, Archives and Documentation Centres
Japanese Branch

 

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ニューズレター第18号
Apr.1, 2002

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ティルマン・ゼーバス 「東アジアにおける音楽図像をどう考えるか」
通訳:勝村仁子

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 これは昨年11月17日に東京芸術大学で行われた京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センタープロジェクト「日本伝統音楽を対象とする音楽図像学の総合研究」の第2回研究集会におけるゼーバス博士の講演記録である。プロジェクトのご好意により研究集会のこの部分だけIAMLの会員に公開された。
 博士はインスブルック大学音楽学部長でICTM国際伝統音楽学会の音楽図像学部会議長を勤められ、MGG、ニューグローブ音楽辞典第2版の音楽図像学の執筆者である。また音楽図像学の専門誌であるImago musicaeの主幹も勤められており、その研究はヨーロッパの民族音楽からペルシャ、インドネシアの音楽という広い範囲に及んでいる。
 講演は阿弥陀来迎図からペルシャの細密画、日本で描かれた西洋画、そして浮世絵までの図像を縦横に扱い、またウィットに富んだものだった。紙面の都合上、短縮せざるを得ないのが残念である。

I:「画家」対「音楽家」
 阿弥陀仏来迎図を見てみよう。画家は絵の中の楽器がどのように作られ、どのように演奏するかはほとんど知らない。しかし、画家は阿弥陀仏の来迎という内容、及びそうした行為の発生する場の雰囲気、そして周りの風景が担う役割を視覚化する専門家である。こうしたものにおける画家の名人芸がこの図像の質を決定するのであり、当時のハープを正確に描いているかどうかは問題ではない。
II:西洋の研究における楽器学的アプローチ
 1920年代から活発になった古学演奏に関する研究において、研究者たちは絵画として残された証拠に基づいて楽器を復元する試みを始めた。しかし楽器製作者がこうした絵を基にレプリカを作ろうとすると、絵の中の楽器は矛盾だらけだった。例えばファン・エイク描くシント・バーフ大聖堂の祭壇画のオルガンは実際には存在しなかった。絵画は信頼に値するが、それは画家の真摯な意図を表出するという、より高度な次元の話で、描かれた細部が楽器学的に信頼できるのかどうかは別問題である。試行錯誤の後1970年から85年までの間に研究者たちは妥当な分析方法にたどり着いた。
1:絵画は音楽家の視点ではなく、画家の視点から見なければならない。
2:描かれた目的、全体のテーマ、それに歴史的文脈をまず抑えねばならない。なぜなら、こうしたものは絵の細部の意味に大きな影響を与えるからである。細部の写実性は背後にあるさらなる全体的なメッセージほどには信頼できない。
3:画家が現実を視覚化する際にもっとも容易に変えられてしまうのは物、あるいは人物たちの量的な配置、あるいは配分である。画家は合唱隊や聴衆など、似たものがたくさん存在する場合、それらを象徴するもの、あるいは代表するものに置き換える傾向がある。
4:絵の中の個々の細部を検証する必要がある場合、絵画は確証を得るための証拠としてのみ使われるべきで一次資料として用いるべきではない。
5:絵画資料を基に信頼できる結論を得ようとするならば、我々は比較検討するのに必要となる量の材料を集めねばならない。さらに統計学的な手段をとりいればより一般的な結論を導くことができるであろう。
 これはかなり強烈な注意事項だった。実際楽器学研究者たちの中には視覚的な証拠を一切避けてしまうような人たちもいたのである。しかし図像を扱う場合、手元にある作品以外助けとなるような資料が何もないという事態がしばしば起こる。したがって今揚げた5つの注意事項から、最終的に心にとめておくことは以下のとおりである。画家の意図したものを理解し、画家が用いた媒体や様式も考慮して、先行作品の役割がインスピレーションを与えただけなのか、正確に模写あるいは写しを取るためのモデルだったのか、または両者の中間的役割を果たしていたのかを検討せねばならない。
III図像学と、その復元への利用
ペルシャのハープを例にしよう。図像からみると、7つ、あるいはそれ以上の音をもつ特定の音階を正確に調弦出来るとは思えない。楽器は図像から想像するよりずっとがっちりした作りで、見えない内部には鋼の支柱までついていたとか、ハープの音階や音組織は安定したものではなかったことが考えられる。とすればマカーム理論は抜本的な修正を迫られることになる。今日に至るまで、音楽理論の専門家たちはたくさんの微分音をもつマカーム理論は正確だと主張している。本当はマカームの音階は当初から定まっていたのではなく、正しく調弦される基本の音程関係と、より柔軟で新しい調弦方法が現れるとそれにあわせて新たに作られる二次的な音程から構成されたのではないだろうか?音高や音程を説明する理論家たちには、現象に秩序正しく適切な居場所を与え、それによって現象を数学的あるいは宇宙論的システムに合致させる傾向があった。しかし音楽の実態はしばしばそれとは逆行し、システム化の試みをかたくなに拒絶する。画家が理論家に従って描いたのか、あるいは当時行われていた音楽習慣に従って描いたのかは楽器学的な研究をして始めてわかる。復元のために絵画を読むことに対して懐疑的になったとしても、楽器の復元をためらうべきではない。最初は間違っているかもしれない質問への答えを性急に求めるのではなく、遠い過去の楽器の精神が自然にたち現われるのを見つけるような態度が必要である。
IV:「楽器学」対「図像学」
 ペルシャのハープは非常に多くの細密画に描かれているが、これは似た楽器が実際にあったことを統計的に裏付ける証拠である。音や音階や製法を探り、復元する正当な理由がある。
しかし、絵画が楽器学的証拠と矛盾する場合、事態はもっと難しくなる。16世紀末に日本で描かれた真ん中がくびれた形を持つギター族の楽器を取り上げよう。(図1)(Minamino, Hiroyuki: European Musical Instruments in Sixteenth-Century Japanese Paintings. Music in Art 24(1-2), 1999. pp.41-50)。著者はこの楽器をビウエラ・デ・マーノと呼び、証拠を検証して最後に3つの問いを出した。
1:一世紀も前に既にヨーロッパでは消失したかもしれない楽器が16世紀末に日本で使われていたのだろうか?
2:この楽器はまだ16世紀にヨーロッパにあったのだろうか?
3:イエズス会の宣教師たちがお手本にくれた古い絵を模写しただけなのだろうか?
こうした問いに答えられないのなら、著者はなぜ論文を著したのだろうか?その答えは、研究をまったくあきらめよということではなく、方法論上の前提を検討しなおし、疑問を構築しなおせというだろう。
 16世紀のヴィオルのバウツ(側面の曲線)をもった15世紀のビウエラ・デ・マーノという妙な合成物が、音楽をよく知らない画家によって描かれたのだが、画家の意図は正確な楽器の絵を描くことではなく、遠い西洋の異国風な楽器の絵を描くことだった。画家のそうしたメッセージはこの絵を眺めた日本人には容易に伝わっただろう。描かれていた楽器は人物の衣装や態度と同様に、日本の文化からはまったくかけ離れていた異質なものだった。
 ここで私たちの音楽学者としての好奇心は、いったい日本のキリスト教徒たち、西洋の宣教師たち、それに日本の非キリスト教徒たちはここに描かれたものを見て、何を考え、何を感じ、何を連想したのだろうという問いへと進むのである。
V:視覚的な対象物と視覚的意味、あるいは「意味するもの」と「意味されるもの」
 鹿島氏は日本の仏教図像に登場する3種類のハープ、すなわち箜篌の中に一つだけ実際の楽器として存在しなかったと指摘している。ただし絵の文脈からみてそれは楽器のつもりで描かれているといえる。私たちが見ているのは図像、すなわちギリシャ人がイコンと呼んだものである。このハープは、魂の幸福へと我々を導く音を象徴している。図像が現実離れしたものであれば、そうしたメッセージはいっそう強くなる。図像の指示性が一層顕著になる。このハープはシンボルとなることを望んでいるし、実際シンボルでなければならないのである。
楽器学的矛盾は、描かれた楽器にはより少ないものしか描かれていないと同時に、私たちが思っている以上のものが描かれていることを気づかせてくれる。現実のものでない限り、より少ないものが描かれているのは当然だが、何かを指示することができる限り、より多くのものが描かれていることもありえる。触覚、あるいは聴覚を超えたさらに向こうにある意味を視覚化することさえある。
 楽器を描いた図像の楽器学的研究は音楽を描いた図像の図像学的研究と完全に切り離されたものではない。単なる音の発生源としての楽器の役割を超越した意味を絵の中に見出すことができるならば、この楽器は演奏の技を示す以上のものである。すぐれた楽器学的研究は楽器の構造に対する具体的な理解を生むだけではない。楽器学にとって可能なものとそうでないものを区別することができるので、物質的世界の向こうに存在する音楽の性質を知る助けになる。この楽器は実際の音を出すものではありえないと楽器学者が言う場合はいつも、その楽器が描いたイコンを探し求めてよい。
VI:視覚的なもののその可能性と力:第一の例
 東アジアの楽器は自然崇拝的で、素材志向である。科学技術が発達した今日でさえ、琴の表面は焼かれることによって浮かび上がる木目を大切にしている。楽器の世界は同時に、テクスチャー、光、形の戯れの世界でもあり、それらは凝縮されることもあれば、逆に思う存分戯れることもある。楽器自身は二次元の表面をもち、三次元の形を持った視覚芸術なのである。日本の画家や浮世絵師はこのことをよく知っている。(この部分でゼーバス氏は鈴木春信描く「琴路落雁」と岳亭描く「琵琶を弾く女」(図2、3)を示して、そのデザイン感覚、色彩感覚について鋭い指摘をされ、単に楽器が描かれている絵として取り扱ってはならないことに我々の注意力をむけさせた)
VII:視覚的なものの可能性と力:第二の例
 北斎描く八挺鐘(大道芸として東海道の掛川付近で行われていた)の絵(図4)を基に楽器を復元することはできない。リズム楽器であろうということはわかるが、詳細は不明である。正確さを欠いているが、北斎は時間と空間の中での動きを表現する、という困難な課題を素晴らしい技術で表現している。演奏者の動作や踊り手の旋回、音楽と踊りが見せる名人芸、楽器の演奏で生じる恍惚とした状態が絵によく現れている。パフォーマンスの目的、音楽の中に投入される肉体的、心的エネルギーが絵の中に認められる。それは絵の中の見物人にも、我々にも伝わってくる。
VIII:思考方法:西洋と東洋
 音楽学は古代ギリシャ以来人文諸科学の中で最も古い。ルネサンス期になると美術史が加わったため、音楽学者は文学、哲学、視覚芸術に対する親近感があって、方法論、ジャンル、様式、歴史区分といった概念を共有している。東洋では、それとは異なる背景が音楽学にあり、それゆえ、図像を分析する上で役に立つ美術史との関係が既知の事実とはなっていない。ヨーロッパ、アメリカ、カナダでは図像学は日本より長い歴史がある。ただし図像学が関連した学問分野を上手に利用できるようになるまでには二世代が必要だった。しかし今日でさえ、専門家が図像を大いなる疑いを持って見る傾向は存在する。
 絵画へアプローチする際には、媒体(絵)は視覚的で、主題(音楽)は視覚では捉えられないが、視覚で捉えられる楽器と演奏者が、視覚で捉えられないもの、すなわち音楽、を運んでいる役割をはたしている、ということを常に意識せねばならない。我々の中に詰まっている先入観をきれいに取り除いて、図像が我々に伝えようとしている意味を考える余地を作ってやらねばならない。そのために我々は学際的な協力を必要としている。
 最後に美学的な問いを提示したい。西洋の音楽美学は、他の諸芸術と切り離されている。価値判断をする際に音楽学者は楽譜のテクストから始め、楽器学者は技術的な洞察力と音響上の細かい点から始める。美術史家は、あつかう媒体に内在する様式のカテゴリーから始める。芸術的媒体を切り離し、それとともに美学的な基準も切り離してしまう。
 それに対して東アジアでは楽器製作者、音楽家、画家、作品を分析する学者たちが美を理解する上で共通の基盤をもっている。太古の時代から画家と音楽家は目に見える空間と時間の中の空間について同じ考えをもっていた。同様に、楽器の中に見出される美の概念がある。しばしば楽器は音の精神のイコンとみなされ、完全な響きを映し出す鏡とみなされている。共有された美の概念は研究者の美学的なクロスオーヴァーを容易にし、それぞれの音楽の現れ方の中に他者への関連性を認めることを可能とする。すなわち楽器は音に関係し、楽器の物理的な外見は目に見える世界に関係し、絵画は描かれる対象に関係するとともに音それ自身とともに存在する意味、に関係する。そして音は音に対応する視覚的なものに関係している。日本や東アジアの研究者たちは芸術の中にある関連性を扱う理想的な素質を持っているし、特に音楽図像学の分野で理想的な素質を持っているのではないかと思われる。そうした素質があれば日本、東アジアにおける音楽図像学研究の未来は明るいものとなるのではないだろうか。私たちはその成果を将来、熱心に吸収しようと努めるという方向に向かっていくことだろう。
(文責:長谷川由美子)

 

 

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IAML日本支部例会
講演『インターネット学術情報インデックス(IRI)について』

日時:2001年11月15日(午後1時-2時30)
会場:東京国際フォーラムG棟5階G502会議室
企画運営:音楽図書館協議会
講演者:本多玄(東京大学情報基盤センター、デジタル・ライブラリ掛)
手代木俊一

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 2001年度IAML日本支部例会は、音楽図書館協議会のご厚意によりMLAJ研究セミナー2001に参加するかたちで行われた。ここではMLAJ研究セミナー2001の中から2001年11月15日の本多玄氏の講演『インターネット学術情報インデックス(IRI)について』についてのみ報告する。
 まず、本多玄氏より1999年4月より発足した東京大学情報基盤センター、デジタル・ライブラリ掛の組織の概要とインターネット学術情報インデックス(IRI)とはどういうものなのかの説明があった。IRIとは、インターネット上の学術的情報リソースを収集し、それらについて記述したメタデータを付与してデータベースとして組織化し、キーワードや分類で検索可能にした、いわゆるサブジェクト・ゲートウェイの一種であるということであった。
 IRIを作成しようとした動機は、インターネット上の情報源の爆発的な増加により、既存のサーチエンジン、リンク集では対応に限界があり、より効果的にネット上の適切・有為な学術情報を供給のできる手段を模索しなければならなかったからである。そして1998年東京大学若手研究者支援経費に附属図書館から「インターネット上の学術情報源データベース作成の試行」を申請し、許可された。そしてその後の経緯と参考とした先行事例が述べられた。
また、データ(2001年10月19日現在)件数(3500)を分類別、国別にあらわし、アクセス件数が月別のグラフによって報告され、現状が示された。
 次に、システムと検索インタフェイスについて述べられた。データの入力はFile Maker Proのフォームでデータ入力し、ある程度データを蓄積してからデータをTAB区切りしてTEXTファイルに変換、Linuxマシン(サーバー)上にコピーする。この際XML等によるタグ付けなどをは行っていない。文字コード変換等の加工して、PostgreSQL(フリーのDBMS)に格納する。検索はCGIで行っている。検索インタフェイスに関して、キーワード検索(全文検索)と分類による検索の2つの方法がバッハを例に画面での説明がなされた。
前半ここまでは講演者言うところの仕掛けについて述べられたが、後半はメタデータの付与について述べられた。
 収録情報の選定と基準では、情報の収集対象は国内の情報を中心に全分野に及ぶこと、人力によって収集していること(ロボット検索はせず、現在2名で分類により分担)、その情報源は、各専門分野の単行書・学術雑誌、大学・学術機関・学会・学術出版社のWebページ、学術情報源を中心としてリンク集、さらに上記3点から得られるリンク先ということだった。収集リソースの取捨選択の目安として、内容が学術的で研究・教育に有用あること、信頼性の高い学術情報源であること、継続的に安定した運営がなされていること、量的にある程度充実していること、複数の学術情報機関からリンクされていること、大学・研究機関・学会・学術出版社が運営していること、営利性が低く研究・教育を中心としたもの(企業体サイトの場合)、更新頻度が高く内容が学術的なこと(個人ページの場合)、個人及び特定の団体の宣伝するサイトでないこと、作者あるいは情報ソースが明示されていること(匿名サイトはなるべく使用しない)があげられた。
 書誌情報の記述に関して、Description of Dublin Core Elementsを参考にしながら、それに独自の解釈を与えたり、さらに項目を追加するが、リソースを同定できる最低限の情報を与えられれば可としている。これはデータの件数をまず量的に増やすことと利用者に早く提供することを目的とするためであるということであった。23の項目の内8つは必須の項目であり、一つ一つの項目の説明があった。「8主題」にはLCと件名標目表を使用しているとのことであった。また詳細結果画面の説明がなされた。
 書誌情報の記述の問題点として、情報単位の範囲が曖昧なこと(図書だと物理単位として判りやすいが、どこからどこまでを対象とすればよいのか判断しにくい)、責任表示や役割表示が明確でないこと、出版事項が曖昧なこと、記述根拠となる情報源の規定が定まらないこと(どこに何が記述してあるのか判らない)、情報源の可変性(中身が変わる、URLの変更や情報源の消滅)、古典前文テキストの場合の典拠・底本の明示がないケースがあることがあげられた。
 データ収集・メンテナンス上の問題点・課題として、ロボット検索との組み合わせなど手作業での情報収集の見直し・改善・効率化と、学内研究者や他機関・大学との連携・データの分担収集等データ収集方針の転換が必要との見解が述べられ、URLの変更や情報源の消滅が起こることが述べられた。毎月リンクチェックソフトでチェックし、URLの変更や情報源が消滅したかどうか調査している。エラーとなるのは10%前後で、そのうちURLの変更、不明は各々1%程度とのことであった。
 ダブリン・コアのメタデータのエレメントは外部の情報を収集してそれをデータベース化するときに与えるだけでなく、作者自体がリソース上に記述することも想定してあるそうだ。今後作者自身(情報の発信者)があらかじめメタデータを付与するということが一般化すれば、図書における表題紙や奥付にあたる役割をはたしていくのではないか、まだ現実的には動いていないが、そのような時期に入って来たのではないかという結論であった。



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事務局便り

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 ■会員異動
♯変更
中島朋子→蒲谷 朋子

佐々木勉

§休会
福島和夫

♭退会
井上亮惇
北島京子
エヴァルト・ヘンゼラー
上野学園日本音楽資料室
ヤマハ・ミュージック・メディア(雑誌業務停止)


†逝去
ご病気のため休会中であった元支部長、渡部恵一郎氏が12月11日に逝去されました。
昨年10月、本部会長でヘンデル研究仲間であるJ.ロバーツ来日の折には、夕食会に参加され、旧友との再会を果たされ喜んでおられました。
ヘンデル研究の朋友として、また氏の温厚なお人柄を慕い、J.ロバーツもIAML電子掲示板に哀悼のメッセージを載せて下さいました。長く、IAML支部と歩みを共にしてくださったことに感謝し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

■Fontes Artis Musicae刊行予定
発行の遅れているFontesについて、編集者であるJ.Wagstaffから以下のお知らせが入りました。
1. vol. 47/2-3合併号は既刊で、お手元に届いている筈です。
2. vol. 47/4(2000年7月/12月号)と48/1(2001年1月/3月号)は、合併号ではなく2冊で近日中に同時発送します。(3月24日現在既にお手元に届いている筈です)
3. vol.48/2は、3月25日に発送予定です。(その後数週間中に発送との続報あり)
4. vol.48/3と48/4は、目下編集中で今月中に少なくとも1冊がA-R出版社に入校することになっています。通常印刷から発送まで4-6ヶ月かかるので、2002年夏以降年内にはこれらがお手元に届くでしょう。
5. vol.49/1(2002年1月/3月号)と49/2(2003年4月/6月号)は、可及的速やかに発行したいと考えています。vol.49/1は昨年12月に急逝されたImogen Fellingerを記念し、逐次刊行物の特集号が中心になるでしょう。
それでもまだ刊行は1年遅滞していますが、夏までにさらに半年分カットし、ギャップを縮めなければならないと考えています。
■会計報告
■会費送金について
本部への2002年度会費送金を済ませました。なお、本部名簿作成の年ですので変更が
ある方は早めに会計までお知らせ下さい。

 *事務局だより

■音楽文献目録委員
音楽文献目録委員会の委員が、本年4月で改選の時期を迎えますが、IAML選出の委員はひきつづき、関根和江、竹内道敬、長谷川由美子の3氏(敬称略)にお願いしました。新任期は2002年4月より2004年3月まで。音楽文献目録委員会は、2年ごとに委員が改選されます。IAML日本支部では、昨年12月27日の役員会のあと候補者の推薦作業をおこない、他団体から選出される委員との調整を経て、上記3氏に再就任をお願いすることになりました。

■2002年の日本支部総会について
今年のIAML日本支部総会は、6月9日(日)の午後、国立音楽大学で行われます。年に1度の総会です。ぜひご参加ください。なお、総会で審議すべき議題をおもちのかたは、できるだけ早めにお近くの役員までお申し出ください。

■2002年IAML国際会議
2002年のIAML国際会議は、8月4-9日に、カリフォルニア州バークレーで開催されます。世界各国のミュージック・ライブラリアンと親しくなるための絶好のチャンスで
す。ふるってご参加ください。会議に関するウェブサイトは:http://www.staff.uiuc.edu/~troutman/berkeley.html
なお日本支部では、IAML国際会議にはじめて参加する専門職のかたのための「会議参加補助用基金」への申し込みを受け付けています。

■Berkeley Conference速報
今年の会議案内がお手元に届いている筈です。
今年も充実したプログラムであるようです。
日本支部メンバーが関わるセッションについてお知らせします。

★書誌委員会のセッション
長谷川由美子(国立音楽大学図書館、
国立音楽大学ベートーヴェン研究所)

★音楽教育機関図書館部会のセッションの予定
8月4日(月)
「アメリカの音楽学校図書館」Jane Gottlieb (ジュリアード・スクール)
Deborah Campana (オバリン大学)
Dan Zager (イーストマン音楽学校)
Kevin McLaughlin(Cal Arts)
8月6日(水)
「目録システムの新情報」
伊藤真理(元国立音楽大学図書館勤務)多言語オンライン目録システム:LS/1について
Jay Weitz (OCLC)

■電子掲示板(IAML LIST)に登録しませんか?

IAML本部掲示版に登録すると、会員の動向や新しい書誌情報・会議案内などが早く入手できます。また、広く書誌に関する質問などをこの掲示板に投げかけることもできます。登録方法eメールで listproc@cornell.edu宛に以下の語を書き送信する。
「SUBSCRIBE IAML-L Firstname Lastname」
折り返し簡単な要項がメールで返信されてきます。それに従って活用できます。


■Publication Received
日本フルート協会会報 No.167-170
上野学園日本音楽資料室研究年報:日本音楽史研究 第3号
Music Reference Services Quarterly vol. 7, Numbers 3/4, 1999
■事務局への連絡
IAML日本支部では、日本近代音楽館のご好意により、同館に事務局住所をおかせていただいていますが、同館には事務局スタッフは常駐しておりません。郵便物などのチェックは遅れがちになってしまいますので、お急ぎの連絡は事務局長の電子メール・アドレスまで直接お願いします。

(以上)

 

 

 

IAML日本支部ニューズレター 第18号

 

2002年4月1日 発行

発行 国際音楽資料情報協会(IAML)日本支部

〒106-0041 東京都港区麻布台1-8-14

日本近代音楽館気付
http://www2.neweb.ne.jp/wd/iaml